Oppenheimer見たメモ

そもそもセリフに専門用語が多い上に、マット・デイモン以外の出演者は皆もごもご喋るし衣擦れの音は被りまくりだしで2割もセリフは理解できていない*1のであくまでも現時点での覚え書き。

8月下旬、台北の美麗新影城で鑑賞。

映画を通してオッペンハイマーは相対するものたちの板挟みになっている。共産主義と反共、昔の恋人と妻、科学的探究心と倫理、戦争の英雄としての名誉と後悔などなど。

その板挟みによりオッペンハイマーの心はずたぼろになり、ついにはスパイの疑いをかけられる。しかしそんな彼を守り最終的に名誉を保つのは、科学と国という大きな存在への忠誠心(Loyalty)によってである。

一般的に言われているように、クリストファー・ノーランは映画についての映画を撮る監督である。そこで映像的・物語的ハッタリが少ない本作では一体何がそれにあたるのであろうか。

本作の映像的なハイライトのひとつはまず間違いなくトリニティ実験のシーンであろう。核実験の爆裂な光と音を並んで見る関係者たちは観客のようである。また、待機小屋の小窓からその様子を見るオッペンハイマーの姿は映写機技師、またはモニターで仕上がりをチェックする映画監督のようでもある。その光と音は観客に大きな興奮をもたらすが、その興奮も束の間、原爆が実際に投下された後のオッペンハイマーはその光がもたらす壊滅的な影響のビジョンに苛まれることになる。更には共産主義に傾倒していた過去からスパイの嫌疑をかけられ、機密にアクセスするという特権を失ってしまう。

理想を追い求める心から生み出されたものが誰かを傷つけたり、さらには政治の道具になってしまうこと。ここから、近年映像作品が政治的闘争や論争の的になりがちなことや、エンターテイメント業界をとり巻くキャンセルカルチャーを想起するのは安易すぎるかもしれない。

しかしもしそのような意図があるのであるならば、この映画がその題材であったりBarbenheimerのミームに巻き込まれたことで日本において論争の的となり、更には現時点において国内で正規に見れる目処が立っていないというのはとても皮肉なことだと思う。

*1:この直後にBlue beetleを見たらセリフ大体聞き取れたので子供向け映画は最高!となった