マッチングアプリに登録できない

全人類がやっているというマッチングアプリをやってみようかと思う時期が年に1~2回あるのだが、一度たりとも登録を完了できたことがない。毎度のこと挫折を繰り返しているので、もはやここまで来ると始める前から諦めている状態ではあるものの、なぜ登録することができないかを記録しておこうと思う。
登録完了を阻む障壁としては主に以下の3つの段階がある。

  1. アプリインストール前
  2. プロフィール写真のアップロード
  3. その他プロフィールの登録

アプリインストール前

ケースとしてはこの段階で心が折れるケースが一番おおい。
あまりにも早すぎる挫折ではあるが、後述する2と3のステップも自分にとってはめちゃくちゃにハードルが高い行為であるのに、それを乗り越えたとしても得られるものが果たしてあるのだろうかと考えるといきなりやる気がしおしおになってしまう。
また、始まる前から終わることを考えるのが大好きなので、例えばマッチングして対面で話しましょうということになったときのことを考えるととてつもなく憂鬱な気分になる(まだ登録もしてないのに!)。
具体的にどういうことかというと、相手が対面するのはこの自分なわけである。自分の💩具合というのは自分が一番わかっているわけで、そんな自分とマッチングして、時間を割いてくれているということにものすごい申し訳なさを感じるのだ(一般的に男性会員のほうが料金テーブルが高いというのも申し訳なさを加速させる一因である)。また、私はゴキブリや蛇に対しての苦手意識は一切ないが、雑談というものが何よりも苦手である。共通の趣味や話題のない人間と何を話していいのか全くわからない。話題が途切れて次の話題が見つかるまでの隙間のことを考えると胃が締め付けられたような気持ちになる。様々な事象が重なって徐々に失望していく相手の顔を想像すると、これが現実になったらおそらくしばらく立ち直れないだろうなと思う(マッチングした相手なんて存在しないのに!)。
また体験談などを聞くと、対面で会うというのはこのご時世も相まってなかなかハードルが高いようである。そうしたときに、いろんな人のプロフィールを見て、いいねをして、マッチングをして、メッセージのやりとりをし、そこからお互いに会ってもいいなと思うような段階になる、という一連の流れはウマ娘の因子厳選で青9URA9を生み出すような気の遠くなるプロセスだ。そして、そこまでのリソースをかけたとして得られるものがあるのだろうか、その時間で映画を見たり本を読んだりするほうがよっぽど有意義*1なのではないのか、という結論に至ってしまうのだ。
以上のような一連の脳内シュミレーションによって、やめておこう…となるのがこの段階である。

プロフィール写真のアップロード

最近の若いもんは知らないかもしれんが、かつてインターネットで顔バレをするということはそれすなわち死と同義であった。フリー素材としておもちゃにされ、一生こすられ続けることを意味した。うっかりそのタイミングでインターネットというものに触れてしまったので、その頃の価値観が染み付いたままになっており、顔写真を限定的であれネット上に公開するということに今でも抵抗感を覚えてしまう。
加えて、私は自分の容姿があまり好きではない。そのため、自分の姿がちゃんと写っている写真が手元に一切ない。自撮りをしようものならば自己嫌悪でしばらく体調をくずしてしまう。また、マッチングアプリでは自撮りではなく他撮りのプロフィール写真のほうが一般的には好ましいとされているらしいが、そんなことを頼める友人もいないし、頼みたくもない。
以上のような理由からプロフィール写真を設定できず、アプリをアンインストールすることになる。

その他プロフィールの登録

この段階に至ることは基本的にないためとても薄い記述となるが、プロフィールの自由記述欄的な部分に何を書いたらいいのかわからずめんどくさくなってしまう。また、各種の設定項目からにじみでる社会規範のようなものにしんどさを感じてしまう。1と2のステップを乗り越えたとしても結局はここで心が折れてしまうのである。
 
 
以上はつまるところ己の自意識過剰さ、認知のゆがみと怠惰さの言い換えと言い訳でしかなく、結局のところ別にそんなにマッチングアプリをやりたいわけではないし、誰かと出会いたいわけではないのだろうなと思う。ただ、自分の身がゆっくりと沈んでいくようなこのままでいいのだろうかという感覚と、みんながやっていて楽しそうだからやってみたいというほんのりとした気持ちがその根底にあるのだろう。
もしマッチングアプリに登録できた日が来たならば、それは自分の考え方が(おそらくいい方向に)変わったことの証左であるので、それはとても喜ばしいことだと思う。


*1:実際にはダラダラインターネットするだけ