ユニバースは更新される /『ミスター・ガラス』感想

1月18日に公開された『ミスター・ガラス』は、『アンブレイカブル』と『スプリット』からなる「イーストレイル177トリロジー*1」19年越しの完結編となる作品であり、監督・脚本・製作を務めるM・ナイト・シャマランのキャリアにとっても一つの区切りとなる作品だ。


「ミスター・ガラス」予告編

シャマランの人生はそのフィルモグラフィとともにまるで物語のように語られてきた。
若くして大きな成功を収めるが、その後徐々にキャリアは低迷、一度はすでに終わった人の烙印を押されるが、自己資金で製作した作品により再び好評を得、新作の公開が期待される人気監督の地位に再び返り咲く。
あまりにもベタであり、あまりにも安易ではあるが、このような作家自身の人生と、作品のいかんが重ねられて語たられるという事自体がシャマランという映画作家の特異性を表していると言っても過言ではないだろう。
『ミスター・ガラス』は、このように何度も物語化されてきたM・ナイト・シャマランという驚異的な存在の、シャマラン自身による映画化であるといえる。
そして驚くべきことに、シャマランを信じ、時には疑ってしまっていた私たちの映画でもあるのだ。

《あらすじ》
舞台はスプリットのラストから3週間後、“群れ”の居場所を突き止めたデイヴィッド・ダンは、彼らに誘拐された少女たちを救出しに行くが、そこに覚醒したビーストが現れる。戦闘を繰り広げる内に警察により身柄を確保されたデイヴィッドとケヴィンの2人は、精神科医のエリ・ステイプルの監視下に置かれることになる。
連れてこられた施設には19年前に大規模なテロを起こしたミスター・ガラスこと、イライジャ・プライスも収容されていた。
ステイプル医師は「自分が超人だという妄想を持った人物」を研究対象としており、その妄想を消す治療のために3人を集めたという。
驚異的な頭脳を持つイライジャは鎮静剤漬けに、ケヴィンはビーストが出現しないように強制的に人格を切り替えさせるライトが備え付けられた部屋に、強靭な肉体を持ちながら水が弱点のデイヴィッドは水責め装置が付いた部屋にそれぞれ閉じ込められ、その妄想を手放すように治療が施される。

自分の能力を一切発揮することのできない部屋に閉じ込められるという圧倒的な無力感。ステイプル医師の治療を通して、徐々に己の力の実在が揺らぎ始める超人たち。この姿は作品の評価が低迷し、自信を失っていた頃のシャマランと重なって見える*2
また、この部分でイライジャ、ケヴィン、デイヴィッドの3人はそれぞれのテーマカラー(紫、マスタード、緑)に基づいた入院着を着ているが、その色味がとても薄い。この施設の内装自体も基本的にペールカラーだし、常に白っぽい色の服を身につけているステイプルによって、世界が徐々にぼやけていくような、象徴的な絵作りとなっている。
f:id:ciranai1:20190119151844j:plain
そしてその薄ぼんやりとした世界から3人がそれぞれの色を取り戻すまでの展開において、メタ言及的なセリフの量と、展開の抽象度が徐々に加速していく。
つまりは、「普通こういう状況だったらこうなるよね?」というものが排除されていく。シャマランの強い意思の前では、常識は無力なのだ。
そこからラストにかけての展開は、全世界のシャマラニストが待ち望んでいたもの以外の何物でもない。
登場人物たちそれぞれが、自分であることを受け入れ、そして受け入れられる。そしてその姿が世界(あるいはユニバース)を塗り替えていく。
シャマランがずっと信じ続けてきた虚構の力を改めて提示するラストは、アンブレイカブルからの19年と、そこにあった様々な紆余曲折のすべてをも肯定する力強さを持っている。
終盤、とあるキャラクターから発せられる「信じてなかったなんて言わせないんだからね!」というセリフは、一度は自身を失いかけたシャマラン監督だからこそ、大きな意味を持つセリフであると言えるだろう。

私がシャマラン作品と出会ったのは2011年のキャリア低迷期だった。レンタルで見た『サイン』に衝撃を受け、『レディ・イン・ザ・ウォーター』でシャマラニストとして生きることを決定づけられた。
その後、『アフター・アース』で初めてリアルタイムでの公開作を体験し、『ヴィジット』『スプリット』と、再び評価を上げていき復活と言われている様子を喜びながら、復活というのはまだ早いのではないかという気持ちをずっと抱えていた。
なぜなら、映画全体の構造を使って、伝えるべきメッセージを表現するというのがシャマランの真骨頂だと思うからだ。
その観点から言って『ミスター・ガラス』は復活と言って間違いない作品だろう。
作品内外で流れた19年という時間と、メタフィクショナルな言及によって複数のレイヤーからテーマが立ち上がってくる。『ミスター・ガラス』で味わえる感動は、シャマラン映画でしか味わえないものだ。

取り扱っているテーマや、メタフィクショナルな構造、実際はきわめて局所的な出来事が世界を変えるできごととなるという構図は、『レディ・イン・ザ・ウォーター』と極めて近い。
その上で『レディ・イン・ザ・ウォーター』と比較して特筆すべきなのは、ジョセフ、ケイシー、イライジャの母、といった「見守る者たち」の目線が物語に大きく組み込まれている点だ。
見守るものたちの目線と映画を見る私たちの目線は、やがて重なり、共鳴していく。この要素があることで「本来比喩で描かれるものをそのまま出す」という『レディ・イン・ザ・ウォーター』の離れ業を使わなくても、テーマを描き出すことに成功しているのだ。これはシャマランの映画作家としての成熟であると言えるだろう。

シャマラン自身も今作の公開にあたり、「キャリアの一つの章が終わるようだ」とツイートしているように、『ミスター・ガラス』はシャマランの今までのキャリアにおいて一つの到達地点である。その上でさらなる進化の可能性を見せたという点において、今後シャマランがどのような作品を作っていくのか、より一層楽しみになったことは間違いない*3

映像面にもう少し触れると、『スプリット』から11も増えた20の人格*4を、その身体性*5までをも柔軟に変化させて演じ分けたジェームズ・マカヴォイの演技はもちろんのこと、19年の時を経て不敵さをましたサミュエル・L・ジャクソン、表情に哀愁が増したブルース・ウィリス、神聖な美しさが一層増したアニャ・テイラー・ジョイら、出演者のアンサンブルも見事。
アンブレイカブル』のジョセフ少年がそのまま真っすぐ大人になったようなスペンサー・トリート・クラークが今作において非常に大きな役割を果たしていて、個人的なMVPですね。
また『スプリット』から引き続き撮影を担当したマイク・ジオラキスによる撮影は相変わらず美しく、スーパーヒーロー映画とは一線を画した繊細で上品な絵作りと、創意工夫に富んだ浮遊感のあるカメラワークも素晴らしかったです。

長々と書いて来ましたが、とにかく
みんな早く映画館に行って『ミスター・ガラス』という出来事を、そしてシャマラン13年ぶりのフルスイングを見てほしい!!!!!!
ということです。

おまけとして『ミスター・ガラス』を見るにあたっての補助線となるものを紹介してこの感想を終わりにします。

アンブレイカブル & スプリット》

前作を見ていなくてもわかるように作ったと監督本人は発言していましたが、多分ほぼわからないと思います。今なら『アンブレイカブル』はPrimeビデオで100円、『スプリット』はPrime会員なら無料で見れますのでぜひ。

《Buried Secret of M Night Shyamalan》

『ヴィレッジ』製作中、まだブイブイ言わせてた頃のシャマランを対象にしたモキュメンタリーで、この頃のシャマランがよくわかります。

《ドレクセル大学卒業式でのスピーチ》

2018 Drexel Commencement - M Night Shyamalan Speech
ここで語っていることが、テーマとしてダイレクトに『ミスター・ガラス』に反映されている気がします。

《ローリング・ストーン誌 インタビュー》
rollingstonejapan.com
上記のスピーチで語られていることと内容は近いので、スピーチを見る時間がない方はこちらをどうぞ。

*1:というのが正式名称らしいですが、個人的には「シャマバース」という呼び方が好きです

*2:ちなみにこれは深読み以外の何物でもありませんが、『Buried Secret of M Night Shyamalan』というsyfy製作のモキュメンタリーでは、シャマランは子供の頃に溺れて死にかけたが、それによって超自然的な力を手に入れたという設定があり、デイヴィッドが幼い頃に溺れた経験があるのと重なります

*3:しかしながら現段階で発表されてるのはAppleの動画サービスで配信されるドラマなんですよね…

*4:ちなみに撮影では23の人格を演じたけど3つはカットされたらしい

*5:身体性にちなんで言えば、非常に脆い身体のイライジャ、人格によって容貌までが変貌するケヴィン、絶対に傷つかないデイビットと、三者の身体性が対比されているのもおもしろい