2022年1月 まとめ

1月に見ておもしろかったものや印象に残ったことを書く。
 

悪役令嬢もの

人気あるジャンルのはずなのに全く触れてないぞと思ってざっと読んでみた。その中でおもしろかったやつ。

悪役令嬢レベル99 ~私は裏ボスですが魔王ではありません~

乙女ゲーの裏ボスである悪役令嬢に転生した主人公がうっかり領地でモンスターを狩りすぎた結果レベル99になってしまい、魔王討伐パーティーのメンバーになる予定の攻略対象たちにドン引きされ敵視され波乱万丈の学園生活を送ることに…という話。強すぎる力を持つものの孤独が描かれていてよかった。
 
ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん

乙女ゲーをプレイしている小林さんと遠藤くんの声がなぜかゲームの登場人物に聞こえるようになり、悪役令嬢のリーゼロッテ推しである小林さんはリーゼロッテの破滅を回避するために遠藤くんと実況解説として登場人物を誘導していくという話。タイトルも設定も複雑怪奇だけど話にスッと入っていけるようになっていて読みやすかったし、ゲームを取り巻くメタ的な環境だったり、フィクションの登場人物に対する人権意識みたいなのが今っぽくてよかった。これから現実世界とどんどん話が絡んでいくっぽいのでどうなるのか楽しみ。
 
悪役令嬢、94回目の転生はヒロインらしい。 ~キャラギルドの派遣スタッフは転生がお仕事です!~

いろんな物語に悪役令嬢を派遣するギルドがあってポイントを貯めるとシナリオに縛られず動ける正式キャラクター要因に昇格できるっていう世界で、破滅を避ける悪役令嬢は全部正式キャラクターという言及があり「さすがにメタが回りすぎなのでは!?」ってなった。従来のいわゆる乙女ゲーヒロイン的振る舞いが「図々しく」「受動的」とかなり否定的に書かれてて、悪役令嬢という存在はそのアンチテーゼであるということが強調されてるし、だいぶメタ度は高い。
ただ、そのギルドから派遣されて作られている「物語」が誰のための何なのかに関する説明が一切ないのが割と怖いし、コミカライズを読む限りだいぶエピソードぶつ切り感がある。
 

読み切りまんが

第85回ちばてつや賞 - 【読み切り】化け猫200歳 | ヤンマガWeb
野良さんが出てきた瞬間にかわいいのがすごくいい。あとザラッとした線がおしゃれ。
 
第85回ちばてつや賞 - 【読み切り】紙袋とマジック | ヤンマガWeb
第85回ちばてつや賞 - 【読み切り】叶芽の敗走 | ヤンマガWeb
同じちばてつや賞で顔を描かれるというのが正反対の意味を持つ作品が入賞してておもしろいなーと思った。
 
注文の叶う料理店 / 注文の叶う料理店 - 藤田三司 | サンデーうぇぶり
猫かわいい。
 
そんな恋。 / そんな恋。 - 森下みゆ | サンデーうぇぶり
近い人間に対する「推し」的な感情を取り扱う作品って最近多いけど、主人公の視線はジトッとしてるんだけど嫌悪感を覚えない絵のかわいさとか、最後まで距離感変わらない感じがよかった。
 
かけ足が波に乗りたるかもしれぬ - 菅野カラン / 【コミックDAYS読み切り】かけ足が波に乗りたるかもしれぬ | コミックDAYS
この人の短編ももっと読みたいし長編も読んでみたい。
 

ドラマ

tv.apple.com
クリストファー・ミラーフィル・ロードによる羅生門スタイルコメディ。殺人事件の関係者の証言を順に追っていくんだけど、証言の映像が人によってジャンルがミュージカルになったりラブコメになったりアクションになっててその主観の不確かさがより強調されてる。まだエピソード3までしか配信されてないけど、回を追うごとにおもしろくなっているので楽しみ。
 

映画

スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム
www.spiderman-movie.jp
現在性の映画への取り込み方という観点においては『ファー・フロム・ホーム』のほうが好きだけど、20年分の重みで殴ってくるのはずるい。ホームカミングもファー・フロム・ホームもラストバトルがスパイダーマンにとって戦いにくそうな場所だったのがついに十全にアクションできる舞台が与えられてるのとか、映画3本の構成までもがきれい。
 
ライダーズ・オブ・ジャスティ
klockworx-v.com
よくある復讐ものなのかと思いきやもっと運命論的な感じで、問題を抱えた中年男性が因果と確率に振り回される話だった。問題を抱えた中年男性の話が好きすぎるので、1月はこれ以外にも『ブラックボックス 音声分析捜査』とか『スティルウォーター』とか病んだ男性の話が多くてよかった。
 
フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
searchlightpictures.jp
ここ何作かのウェス・アンダーソン作品は正直自家中毒感があって見るのがしんどかったけど、フレンチ・ディスパッチに関しては絶妙なダーティーさがあったのと、ばらばらのエピソードで構成されているのが見やすかった。

2021年の読み切りまんが

ということで自分用のメモ代わりで2021年に発表された読み切りまんがで印象に残ってるもの。
タイトル覚えてる限りなので抜けてるの結構ありそう。

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2021年に見た映画

今年映画館で映画を見た回数は150回(重複があるので作品数は145くらい)。去年が100ちょっとだったのに比べるとだいぶ増えましたね。
その中で特に見てよかったなと思ったものについて記録します。
(順位は特になし)

ベスト

オールド

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オールド : 作品情報 - 映画.com
正直シャマラン作品としては中くらいの評価なんですが、自宅を抵当に入れて制作費を捻出しているシャマランの新作がこんな状況でもメジャースタジオの配給作品として見れるのは感謝しかないです。
シャマラン作品としての評価が落ちる理由としては「世界対自分」という構図が消失することで、シャマラン作品特有のカタルシスがなくなってしまっているという部分が大きいです。
しかしながら世界対自分という構図に関しては、前作のGlassでやりきった感もありますし、また情勢として陰謀論的な匂いのするものはやりにくいという事情があるので致し方ない部分があると思います(Apple TV+で製作を務めている『サーヴァント』では、陰謀論的なものとの向き合いが描かれていますし、なにかしら意識の変化があったのかもしれません)。
ではその代わりに何が描かれているかというと、「家庭人としてのシャマラン と 映画人としてのシャマラン」 なのかなと思います。
『オールド』には2人のシャマランが登場しています。1人はシャマラン自身が演じているとある人物であることは言うまでもありませんが、彼には映画監督としての役割が課されています。もうひとりはガエル・ガルシア・ベルナルが演じる主人公・ガイです。シャマランのインタビュー等を読む限り、このキャラクターにはシャマラン自身の性質が投影されています。
シャマラン作品で繰り返し描かれてきた家族関係の不和を俯瞰し記録する映画監督としてのシャマラン。この対立が迎える結末を詳細に述べることはここではしませんが、本作がファミリームービーとしての側面を持つとはいえ、いままでの作品と比べると(必要な変化であることは想像できますが)いささかこじんまりとしてしてしまった印象があることは否めません。
とはいえ、ファミリームービーでこれやるんだ…という演出や内容であったり、マイク・ジオラキスと組んでから顕著な、浮遊感がありトリッキーなカメラワーク等、やはりおもしろい映画を撮る監督だなと思います。
あと、映画の上映前に流れる製作者や出演者のメッセージムービーって世界観を壊されることが多くて基本的に好きじゃない(パラサイトとか本当に最悪だった)んですが、『オールド』に関してはそこからきっちり本編になっているというサービス精神も素晴らしかったです。
 

街の上で

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街の上で : 作品情報 - 映画.com
今泉監督の映画はそれなりに見ていますが自分の中でいまいち掴みきれないことが多く、一度は見るリストから外してしまいました。しかし、観測範囲での評判が良かったので見に行ったところすごく良かったです。
一見関わりのなさそうな人たちが知り合いだったり、道でばったり出くわしたりでストーリーが展開していくのがすごく東京の街っぽいなと。
その物語をここ数年変わり続けている(しかも新しい駅舎ができる前の)下北沢を街を舞台にしたことで、すごく特別な意味を持った作品になっていると思います。
あと城定イハという最強に魅力的な人物は本当に偉大な発明ですし、イハと青の会話シーンのスリリングさは忘れることができません。
 

ドント・ルック・アップ

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Watch Don't Look Up | Netflix Official Site
アダム・マッケイのポリティカルコメディって、両側をきっちり刺していく意地の悪さとか、やりすぎの一歩手前で止めるバランス感覚とかすごく良いなと思うんですが、何よりも映画としてのルックが好きなんですよね。地の映像とモーニングショー風、ライブ中継風、SNS風、映像素材など、様々な質感の映像が連なることで奥行きが増していく感じ。
『ドント・ルック・アップ』に関しては、環境問題と政治風刺と地球滅亡ものと中年の危機、テックジャイアント批判等々とトピックが盛りだくさんですし、登場人物も多い上に癖が強いので若干まとまりきっていない印象があることは否めません。ですがそのごった煮感が個人的には好きですし、癖の強いキャラクターをただの飛び道具だけでは終わらせず、「人物」として捌ききっている脚本の巧みさが素晴らしいなと思いました。
 

The Hand of God

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Watch The Hand of God | Netflix Official Site
パオロ・ソレンティーノ作品の画面の美しさや、清濁併せ飲んだ上で提示される美の強度、描かれる中年男性の諦観がとても好きなんですが、それ以上に作品全体に漂っているうっすらとした死のにおいに心が惹かれていたんですよね。そして本作を見てその理由がちょっとわかった気がしました。
パオロ・ソレンティーノは映画というアウトプットの形式に対してものすごく精緻なコントロールができる監督だなと思っているんですが、あえてかっちりコントロールしきらず、どこかはみ出すような余白を残しているような感じがあり(しかしながらそれも計算の内なのかもしれないのですが)、本当に技量が計り知れないなと思います。
オープニングから美しく印象深いショットの連続なのですが、主人公の母親が号泣しながらオレンジでジャグリングをするシーンが本当に凄まじくて、それだけでもこの映画を見た価値がありました。普通に撮ったらめちゃくちゃつまらなくなりそうな話をここまで豊かな体験にできるのは、まさに神の手に選ばれた作家なんだと思います。
 

偶然と想像

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偶然と想像 : 作品情報 - 映画.com
今泉監督と同じく、濱口監督の作品も(自分の感受性とか教養の問題であるとは思いますが)ピンとこないことが多かったのですが、年末滑り込みで見たこの作品にはとても心を動かされました。3本の短編のうち2本目と3本目に特に顕著なのですが、自己を無力である、つまらない存在であると思わせるものへの抗いが描かれていて、「Glassじゃん…」と思いました。
起こっている事自体は実際に映画館で笑い声があがっていたように、極めてばかばかしかったりしょうもないシュチュエーションであったりするのですが、だからこそ登場人物に訪れるかすかな救いにとてつもない強度があるんですよね。
個人的にはこの方向性の作品をもっと見たいなと思います。
 

フィールズ・グッド・マン

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フィールズ・グッド・マン : 作品情報 - 映画.com
ドキュメンタリーをあまり見ないというのもあり、映画として優れているかというのは判断できないのですが、ここ5~10年くらいのインターネットコミュニティーの歴史資料としての価値がものすごく高い作品です。
インスタやtwitterをやっている「普通の人(特に女性)」がpepeを使い始めたのがミームが過激化していった原因だったという説明が作中でなされるのですが、それに対して当時4chでコテハンをやっていた男性が「自分たちにとって、女性は現実社会での敗北の象徴だからみんなが怒った」みたいな発言をするのが本当につらくて悲しかったです。
上映後に流れた監督からのメッセージビデオで「日本でも近い問題が起きていると思いますが」というようなことを言っていたのですが、なんj起点で生まれたものや起こっていることが総括される日は来るのだろうかと遠い目になりました。
 

ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット

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ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット : 作品情報 - 映画.com
ジョス・ウェドン版の『ジャスティス・リーグ』は私にとって完璧な映画であったので、公開前は見たい気持ちと見たくない気持ちがないまぜだったのですが、ジョス版とは別物であると思えるくらい印象もストーリーも全く異なる作品でした。
4時間超という長尺が苦にならないくらい力強い映像とサービス精神に溢れた展開。ザック・スナイダーはやはり唯一無二の映画監督であると思います。
ザック・スナイダーカットが生まれた背景には多くの悲しい事が存在していますし、公開されたことでDCFUに本当に区切りが付いてしまった感もあり諸手で喜んで良いのかはわからないのですが、ジョス版に対しての気持ちの整理をつけることができたというのも含めて見ることができてよかったなと思います。
(劇場で見ていないのでレギュレーション違反…)
 
 

その他印象に残っている作品

砕け散るところを見せてあげる

痛々しくはあるんですが、中川大志の演技の曇りのなさによって寒くならないようになっていてとてもよかったです。あとメタファーをそのまま画面に出しちゃうのも好きでした。
 

ディナー・イン・アメリカ

アメリカの郊外を舞台にした破壊衝動マシマシ割れ鍋に綴じ蓋ラブストーリーとか山程あると思いますし、この映画の何が良かったのか未だに言語化できていないんですが、見たあと精神がものすごく浄化された感じがしましたし、今でも作中のシーンを思い出すだけで涙が出そうなくらい心に響きました。
 

樹海村

ホラー演出が一切怖くないというバグを抱えているので、ホラー映画が印象に残ることが少ないのですが、怪奇現象のルックがとても美しかったのと、ネットロアの絡め方が好きでした。
 

聖なる犯罪者

主人公のダニエルが人を救っていたとしても赦されることはない、なぜなら本物の聖職者ではないし犯罪者だから、というのがとても寓話的で悲しかったです。ダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニアのガラス玉のような瞳がダニエルという人物の危うさに説得力をもたらしていてとても印象的でした。
 

アオラレ

予告編を見た印象だと一発ネタ感があったのですが、背景には社会保障とか鎮痛剤依存症とか都市部の家賃高騰による道路渋滞とか様々な社会問題があり、ラッセル・クロウ演じる男の境遇も他人事ではないという感じなのですが、それと対比して男が主人公に嫌がらせをしたり人を殺していくやり方の飛躍具合が飛び抜けていてよかったです。
 

クローブヒッチ・キラー

タフで頼れる父親への疑念が、キリスト教だったりアメリカ的な強さへの疑念と重ねられているのがとてもアメリカの映画らしくてよかったです。
 

トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング

奪われ続ける者としてのネッド・ケリーの身体と、フィッツパトリックら奪うものたちとの身体の対比がとても印象的でした。モンタナの目撃者でもそうでしたが、ニコラス・ホルトのまとうオーラがどんどん異質なものになってきているのがとても良いなと思います。
 

17歳の瞳に映る世界

少ないセリフで説明も最小限だからこそ、終盤の問診シーンのやりとりが強烈な攻撃力を持っていました。フィクションでよくある「街中で声をかけられた人といい感じなる」という展開が全くロマンチックに見えなくなるくらいの強さを持った作品です。
 

少年の君

中国の受験勉強の過酷さについて全く無知だったんですが、学校の机の上にものすごい数の参考書や問題集が積まれていてそれをひたすらに解いているという絵がまず衝撃的でした。ボーイ・ミーツ・ガールものとしてとても美しいのですが、最後に「政府はいじめ対策に力を入れており」みたいな(おそらく)検閲対策の説明が付いているのを見て中国の映画はこれからどうなっていくんだろうかと考えざるを得なかったです。
 

スイング・ステート

田舎を田舎だと思ってなめた態度でいたら壮大なしっぺ返しを食らうというポリティカルコメディ。割とありえないことが続々起こるので笑ってしまうのですが、でもまぁあってもおかしくないなと思ってしまう部分もありました。
 

マリグナント 狂暴な悪夢

見る側の問題もあるのかもしれませんが、抑圧的な作品が増えているような印象がある中で、この作品のサービス精神というかむちゃくちゃやってる感じはすごく良かったです。そしてむちゃくちゃやってるのに話の構造はすごく緻密だったり。家の中の上からのショットとか、ドーン!のシーンとか、警察署でのアクションとか、目の幸福度がとても高かったです。

この感情は誰のもの『PITY ある不幸な男』


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映画『PITY/ある不幸な男』公式サイト

今自分が抱いている感情に対して、自分が本当にそう思っているのか、それともその感情を抱くことを他者から要請されているからそう思っているのかがわからなくなった経験はあるだろうか。

PITYの主人公の1日は、事故により昏睡中の妻のことを想い嗚咽することから始まる。周囲の人はそんな主人公を気遣い同情し、ケーキを差し入れたり、優しい言葉をかけたりする。しかし、主人公にとってある意味で夢のような時間は、妻が目を覚ましたことで終わりを迎える。
もちろん、妻が目を覚まして主人公一家は幸せに暮らしましためでたしめでたしで物語は終わらない。ちやほやされることに耐性のない中年男性にとって、周囲からの優しさや同情、いたわりはあまりにも中毒性が強く、「優しくされる」「かわいそうな自分」を手放すことができず、徐々に精神のバランスを失っていく。
 
主人公の精神を混乱に陥れていくのは、感情・身体・自我の分裂あるいは混同である。
悲しいから涙が出るのか、涙が出るから悲しみを認識するのか、そもそも私は悲しいのか、悲しまなければいけないから悲しいのか、悲しいはずなのになぜ食欲があるのか、悲しいはずなのになぜ白髪が増えないのか、涙が出なくなった私はもう悲しくないのか、悲しくない自分が優しくされないのであれば自分には価値がないのではないのだろうか。
この映画で描かれる主人公の行動の飛躍は著しいものではあるが、このような感覚を覚えたことがある人も多いのではないだろうか。

アンガーマネジメントというものが流行っていたりもするが、自己の生の感情をそのまま外部に表出させることは社会的に未成熟な行為であるとみなされる。
また、友人の不幸話を聞くときに笑顔ではなく悲しみの表情を浮かべるように、場が個々人に感情を要請し、それにそぐわない態度は反社会的であるとみなされることがある。
なにが言いたいかというと、この社会の成員になろうとする過程で感情や思考、身体の表出をバラバラにするスキルを会得する必要があるということである。全員が自分の感情をそのままうまくコントロールする術を身につけることができればいいのだろうが、そうはいかず、自分の感情を押さえ込むことしかできなかったり、社会から除け者にされるという悲劇が起こったりする。
タイトルで言われている「不幸」とは家族の病気のような事象のことではなく、自己の感情に対する感度を下げ続けた結果、感情を受け止めコントロールする術を失った状態のことなのではないだろうか。
そんな悲劇を、露悪的になりすぎないシニカルで冷静な視線で写したこの映画は、非常に現代的かつ普遍的な作品であると思った。
 
時折挟み込まれる字幕や突然大音量で流れるクラシック音楽など、演出が微妙にはまりきっていない部分もあり冗長に感じる部分もあるが、選び取られたショットのシャープさ、主人公の家のインテリアに代表される美術の清潔さなど、ルックの美しさはとても魅力的で、全体的な温度の低さも非常に心地がいい。
なによりも素晴らしいのは、主人公の感情の感情が徹底的に秘匿されているところだ。ヤニス・ドラコプロス*1演じる主人公は常に口角の下がった仏頂面で表情の変化に乏しく、怒っているのか悲しんでいるのか喜んでいるのか、その表情から読み取ることが非常に難しい。唯一感情をあらわにする嗚咽のシーンでもその表情は見えないので、本当に泣いているのか、泣いたふりをしているのか、観客からは判断することができない。そのため、観客は主人公の内心を推測することしかできず、疑念を持ちながら主人公の動向を窺うことになる。
これは、サスペンスの演出として非常に有効なだけでなく、映像に記録された表面的な振る舞いから他者の思考を判断するという、ある種暴力的な、この映画で取り扱われている悲劇と同根の行為を観客に求めるものである。そのような底意地の悪さも含めて非常に魅力的な作品だと思った。


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*1:画像検索したら普段はめちゃくちゃしぶいおじさんでビビった

M・ナイト・シャマラン監督最新作『オールド』について過去作との共通項を整理してみる

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8月27日に日本で劇場公開されたM・ナイト・シャマラン監督最新作『オールド』について感想をまとめかねている部分があり、まずは前提整理としてシャマランの過去作や近作から引き継がれている要素と、異なる要素をまとめました。

※ 以下の内容は一部『オールド』のネタバレを含み、また事実に基づいて記述された部分と個人の感想が混在しています。

共通の要素

制作費自腹

『ヴィジット』以降のシャマラン映画は、シャマランの自宅を抵当に入れて捻出されたお金によって製作されています。自己資金で製作することで作品の独立性を保ち、リスクを取ることで製作に緊張感をもたせるためとシャマラン本人が説明していますが、作品を追うごとにその制作費は増えており、今作の制作費はおよそ20億円となっています。

制作体制

『ヴィジット』『スプリット』『ミスター・ガラス』で制作会社に名を連ねていたブラムハウスは今作の製作からは外れていますが、『ヴィジット』以降の作品でプロデュースを担当しているアシュウィン・ラジャン、マーク・ビエンストック、スティーヴン・シュナイダーは引き続き参加しています。ブラムハウスはクリエイターの意向を尊重し作品の内容にあまり口出しをしないというスタンスを取ること知られている*1ので、ブラムハウスの離脱がどこまでの影響及ぼしているのかは測りかねる部分がありますが、『オールド』から感じ取れるある種の歪さは、シャマランの意向が直近3作よりもより強く反映された結果なのではないかとも推測できます。
また、その他の主要スタッフに関しては『スプリット』『ミスター・ガラス』からの続投となるマイク・ジオラキスが撮影監督を担当しているほか、音楽のTrevor Gureckis、編集のBrett M. Reed、プロダクションデザインのNaaman Marshall、衣装のCaroline Duncanなど、ドラマ『サーヴァント ターナー家の子守』からの連続起用となっているスタッフが多く見られます*2

閉ざされた空間でのストーリー展開

『ヴィレッジ』『レディ・イン・ザ・ウォーター』『ヴィジット』『スプリット』等、シャマラン作品では限定的な空間が主な舞台となり物語が展開することが多く、登場人物たちがその空間から出ることができないという状況に置かれることも多いのですが、『オールド』においても登場人物たちはビーチから出ることができないという状況に置かれます。

カメオ出演

シャマランの新作が公開されるたびに、シャマランがカメオ出演してるのかどうかがシャマラニストの間で焦点となりますが、今作にもシャマランは出演しています。それに加えて本編の上映前にはシャマランによるメッセージビデオが流され、映画を劇場で公開することの喜びが語られるという二段構えの構成になっています。
また特筆すべき点として今回の出演はカメオの域を大幅にはみ出しており、シャマランが演じるということに明確な意味がある役の割り当てとなっていました。これは『レディ・イン・ザ・ウォーター』以来の出来事で、シャマランが子どもたちに語っていたベッドタイムストーリーを元にした『レディ・イン・ザ・ウォーター』と、長女が歌手デビューし次女が監督デビューをしたという家族の節目となるタイミングで製作された『オールド』の2作品においてシャマランが重要な役割を演じるというのは、明確な意図があるものだと推測できます。

秘密のサイン

「隠されたサイン」はシャマラン作品において繰り返し取り扱われているモチーフであり、またそのサインに気づき読み解くということが事態の打開や救済につながる、というのもシャマラン作品では頻出の展開になります。今作においても秘密の暗号が事態を打開する鍵になるわけですが、さすがにあれはストレートすぎるのではないかという気がします。

病気や医療の取り扱い

シャマラン家は医者の家系であり、両親からは当然シャマランも医者になるものと思われていたというのは有名な話です。そのことに対する罪滅ぼしなのかコンプレックスなのかは図りかねますが、シャマランの作品では病気や医療というものがメインの要素として取り入れらがちです。
医者の役でカメオ出演するという『シックス・センス』のような可愛げのある取り入れ方であればまだいいのですが、最近の作品においては病気、特に精神疾患がストーリーをドライブさせるための要素として使われている事が多く、バランスとして危うい印象を受けます。実際に『スプリット』では、その描写が精神疾患に対する偏見を助長しているとして公開中止運動も起こりました*3
今作においても、ビーチに閉じ込められた大人8人中3人が医療関係者であり、4人が何かしらの持病がある設定となっていますが、この部分は原案から付け足された要素です。また、その中で精神疾患を抱えている登場人物が他者を傷つける行動を取るという展開になっており、個人的には病気というものの取り扱いに関しては若干問題があるのではないかと感じました。

異なる要素

原案あり

『オールド』は、シャマランが子どもたちから父の日のプレゼントとして贈られた『Sandcastle』というフランスのグラフィック・ノベルが原案となっています。過去のシャマラン監督作品で原作あるいは原案が存在したのは(ドラマシリーズを除くと)、大規模なスタジオ作品である『エアベンダー』と『アフター・アース』のみだったので、今作はかなり異質な立ち位置であると言えます。

ローケーション

シャマラン作品は基本的にはシャマランが住んでいるフィラデルフィアで撮影が行われますが、今作に関してはほぼ全編がドミニカ共和国で撮影されています。

フィルム撮影

アフター・アース』以降のシャマラン作品はデジタルカメラで撮影されていましたが、今作では久しぶりにフィルムでの撮影が行われています。この点に関してシャマランは「ジャングル、水、ビーチなど、自然のものはフィルムでないと再現できないと思ったので*4」とその理由を説明しています。

マッチングアプリに登録できない

全人類がやっているというマッチングアプリをやってみようかと思う時期が年に1~2回あるのだが、一度たりとも登録を完了できたことがない。毎度のこと挫折を繰り返しているので、もはやここまで来ると始める前から諦めている状態ではあるものの、なぜ登録することができないかを記録しておこうと思う。
登録完了を阻む障壁としては主に以下の3つの段階がある。

  1. アプリインストール前
  2. プロフィール写真のアップロード
  3. その他プロフィールの登録

アプリインストール前

ケースとしてはこの段階で心が折れるケースが一番おおい。
あまりにも早すぎる挫折ではあるが、後述する2と3のステップも自分にとってはめちゃくちゃにハードルが高い行為であるのに、それを乗り越えたとしても得られるものが果たしてあるのだろうかと考えるといきなりやる気がしおしおになってしまう。
また、始まる前から終わることを考えるのが大好きなので、例えばマッチングして対面で話しましょうということになったときのことを考えるととてつもなく憂鬱な気分になる(まだ登録もしてないのに!)。
具体的にどういうことかというと、相手が対面するのはこの自分なわけである。自分の💩具合というのは自分が一番わかっているわけで、そんな自分とマッチングして、時間を割いてくれているということにものすごい申し訳なさを感じるのだ(一般的に男性会員のほうが料金テーブルが高いというのも申し訳なさを加速させる一因である)。また、私はゴキブリや蛇に対しての苦手意識は一切ないが、雑談というものが何よりも苦手である。共通の趣味や話題のない人間と何を話していいのか全くわからない。話題が途切れて次の話題が見つかるまでの隙間のことを考えると胃が締め付けられたような気持ちになる。様々な事象が重なって徐々に失望していく相手の顔を想像すると、これが現実になったらおそらくしばらく立ち直れないだろうなと思う(マッチングした相手なんて存在しないのに!)。
また体験談などを聞くと、対面で会うというのはこのご時世も相まってなかなかハードルが高いようである。そうしたときに、いろんな人のプロフィールを見て、いいねをして、マッチングをして、メッセージのやりとりをし、そこからお互いに会ってもいいなと思うような段階になる、という一連の流れはウマ娘の因子厳選で青9URA9を生み出すような気の遠くなるプロセスだ。そして、そこまでのリソースをかけたとして得られるものがあるのだろうか、その時間で映画を見たり本を読んだりするほうがよっぽど有意義*1なのではないのか、という結論に至ってしまうのだ。
以上のような一連の脳内シュミレーションによって、やめておこう…となるのがこの段階である。

プロフィール写真のアップロード

最近の若いもんは知らないかもしれんが、かつてインターネットで顔バレをするということはそれすなわち死と同義であった。フリー素材としておもちゃにされ、一生こすられ続けることを意味した。うっかりそのタイミングでインターネットというものに触れてしまったので、その頃の価値観が染み付いたままになっており、顔写真を限定的であれネット上に公開するということに今でも抵抗感を覚えてしまう。
加えて、私は自分の容姿があまり好きではない。そのため、自分の姿がちゃんと写っている写真が手元に一切ない。自撮りをしようものならば自己嫌悪でしばらく体調をくずしてしまう。また、マッチングアプリでは自撮りではなく他撮りのプロフィール写真のほうが一般的には好ましいとされているらしいが、そんなことを頼める友人もいないし、頼みたくもない。
以上のような理由からプロフィール写真を設定できず、アプリをアンインストールすることになる。

その他プロフィールの登録

この段階に至ることは基本的にないためとても薄い記述となるが、プロフィールの自由記述欄的な部分に何を書いたらいいのかわからずめんどくさくなってしまう。また、各種の設定項目からにじみでる社会規範のようなものにしんどさを感じてしまう。1と2のステップを乗り越えたとしても結局はここで心が折れてしまうのである。
 
 
以上はつまるところ己の自意識過剰さ、認知のゆがみと怠惰さの言い換えと言い訳でしかなく、結局のところ別にそんなにマッチングアプリをやりたいわけではないし、誰かと出会いたいわけではないのだろうなと思う。ただ、自分の身がゆっくりと沈んでいくようなこのままでいいのだろうかという感覚と、みんながやっていて楽しそうだからやってみたいというほんのりとした気持ちがその根底にあるのだろう。
もしマッチングアプリに登録できた日が来たならば、それは自分の考え方が(おそらくいい方向に)変わったことの証左であるので、それはとても喜ばしいことだと思う。


*1:実際にはダラダラインターネットするだけ

DJをはじめた

DJを始めた。
前々からやってみたいと思いつつ、生来のめんどくさがりやに加えて家に機材を置く場所がないとか様々な理由でタイミングを逃し続けていたが、昨年末にめちゃくちゃかっこいいDJのプレイを見てかっこいいなぁと思い、即日DDJ-400というPCDJコントローラーを買った。
コロナ禍による在宅勤務で自宅での作業環境を整備した結果、機材を置く場所が作れたというのも大きかった。

とはいえ持ち前のルーズさを発揮したり年末にシャドバの新弾が来たりした結果、なかなか触る時間が作れずなんだかんだで2月になっていた。
さすがにそろそろホコリかぶってるぞ、ということで重い腰を上げ、人から勧めてもらったDJ KOOのyoutubeチャンネルで入門動画を見て基本的な操作方法を覚えた。

www.youtube.com

そして、DJをするにあたってはrekordboxというソフトを使うわけだが、そのソフトに読み込ませるには音源のデータがローカルにある必要があった。
過去15年ほどの期間で積もりに積もったSSD内のmp3、m4a、wavデータと、ここ数年で加速度的に増加したApple musicの音源たちによりiTunes内のメタデータはカオスを極め、この曲はローカルにあるのかクラウドにあるのか、なんでこの曲は重複しているのか等々の混乱状態を収めるのにそれ相応の日数が必要だった。

そのような整地作業を経て試しでセットリストを作り、仕事が終わった後の空いてる時間などでちょこちょこDDJ-400を触る、ということをやった。
そうこうしていると、いつもライブをさせてもらっているMAZAI RECORDSのイベントでDJをしないかと声をかけてもらえた。セトリすらうまく組めないし、そもそもCDJの操作方法よくわかんないし、という状態ではあったものの機会がもらえるなら絶対にDJやりたかったのでやらせてもらうことにした。


本番までは家で練習したものの録音を聞いて修正したり、スタジオでCDJを借りて操作方法を覚えたりした。
セトリはとりあえず好きな曲をベースにしつつ、オープニングなので尻上がりに盛り上がる感じのほうがいいかなという意識でまとめることにした。

そしてイベント当日、朝方まで寝られないくらい緊張していたけれど、大きなミスはなかったし、フロアをちゃんと見る余裕はなかったけどそれなりに盛り上がっていた気がするし、何よりいろんな人に褒められたのでやってよかったなあと思った。

反省点も色々あるので、次の機会があればもっとうまくやりたいし、なにより何歳になっても新しいことを始めるのは楽しいなと思う。



最後に宣伝ですが、MAZAI in GODというイベントは基本隔月でやっています。
時勢的に遊びに来てとはなかなか言えないけれど、もし諸々が安心になってもし興味があればぜひ遊びにきてください。