M・ナイト・シャマラン監督新作『OLD』情報まとめ

最終更新日: 2020/11/16

概要

  • タイトル: OLD
  • 制作会社: Blinding Edge Pictures?
  • 配給会社: Universal
  • 公開日: 2021年7月23日

※日本公開情報は未発表

出演者

スタッフ

  • 製作
  • 撮影: マイク・ジオラキス ( 『Split』『Glass』から続投)

ポスター

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1st poster (2020/09/27公開)

その他の情報

SNS, 公式

■ ロケ地: ドミニカ共和国

■ 撮影期間: 2020/9/26*1 ~ 11/15 *2

■ 原案?: 『Sandcastle*3*4

隣人はクリーピーか?『サーヴァント ターナー家の子守』1話〜5話感想

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『サーヴァント ターナー家の子守』概要

11月にローンチしたApple TV+。ジェニファー・アニストンがフレンズ以来に出演するドラマ『モーニングショー』や、ジェイソン・モモア主演のポストアポカリプスドラマ『SEE』など、気合の入ったラインナップではあるものの、SVODサービスとして後発であるというのもあり、配信されている作品の感想を見かけることは多くない。
そんなApple TV+のローンチタイトルの一つとして、シャマラン製作によるオリジナルドラマシリーズ『サーヴァント ターナー家の子守(原題:Servant)』も含まれている。
以前手掛けた『ウェイワード・パインズ』は原作ものだったため、本作がシャマランにとって初のオリジナルドラマとなる。
『サーヴァント ターナー家の子守』をApple TV+で

あらすじ

住み込みの子守としてショーン・ターナーとドロシー・ターナー夫婦の家にやってきたリアン。実は夫妻の子供であるジェリコは生後まもなく他界しており、その事実を受け入れることができないドロシーのため、代わりの人形をジェリコとして育てていた。その人形を本当の赤ん坊のようにあやし世話をするリアンを奇妙に思ったショーンは、ドロシーの弟のジュリアンと結託してリアンの身辺を探り始める。


Servant — Official Trailer | Apple TV+

人形のジェリコを本物の乳児のように扱うだけでなく、お手製の藁の十字架をベビーベットの上に吊るす、食事は缶詰のスープと食パンだけ、実家とされる場所には焼けた家があるのみ等々、4話まではリアンの奇妙さや謎を強調する要素が積み重ねられていきます*1
それに対する視聴者の感情と同調するようにショーンのリアンへの不信感は増していき、リアンを家から追い出すための証拠を掴むために探偵を雇って身辺調査をしたり、部屋に隠しカメラを設置したりといった敵対的な行動も少しづつエスカレート。

ここまでの展開においてターナー家の状況を一番良く知っているのは視聴者になるため、なにかひとつでも決定的なできごとがあれば即修羅場が発生するだろうという緊張感がすごいわけです。
そしてそんなシチュエーションでは、日常のなにげないやりとりやできごとが異様な緊張感をもちます。特に一番現状を理解していない(はずの)ドロシーの言動には何度もヒヤヒヤさせられます。

やはりシャマランはこのようなサスペンスの作り上げ方が抜群に巧みです。巧みなのですが、それはシャマランファンにとっては自明の事実であり、特に大きな驚きをもたらすものではありません。
このままリアンの謎が少しづつ明らかになってそれだけで終わってしまうのだろうかという不安も少しずつ増していたのも正直なところではありました。

しかしその不安は第5話で一気に払拭されます。

どちらかというとショーン寄りの目線で語られていた4話までと打って変わりリアンにフォーカスした5話「コオロギ」では、それまでは作り物のようだったリアンの表情に、戸惑いや恐怖、怒りといった感情があらわれます。
また、5話の終盤ではリアンとショーンの間にあった緊張状態が当事者同士のコミュニケーションによってほんの少しだけ解きほぐされる瞬間が訪れるのです。

つまり、これまでは奇妙で恐ろしい存在として描かれていたリアンが、感情を持った1人の人間であることが描かれるのがこの第5話になります。
ここで訪れた転回は、リアンは奇妙で疑わしい存在であるという視聴者の視線に反省を促すものでした*2

理解できない他者をまるで人間では無いかのように敵対視し、自己の正当性のためにはモラルを大きく逸脱してしまう、というのは今の社会にある分断の一つの形であると思います。
このような要素をサスペンスの中に取り入れドラマを生み出すシャマランの手腕と嗅覚はさすがとしか言いようがないし、『ミスター・ガラス』のようなリアルに分断を生み出すような作品を同じ年に公開しておいて何を、という憎たらしさを覚えなくもありません*3

12月31日時点では10話中7話までしか公開されておらず、またシーズン2の製作も決まっているということで、これから先どのような謎が現れそして明かされるのか全く未知数ではあるものの、第5話で訪れた転換点によって『サーヴァント』という作品のおもしろさが何段階も上がりましたし、いま見る作品としての意味合いが強まったのは間違いありません。

Apple TV+は最初の一週間は無料なので、シーズン1最終話が公開される1/17に合わせてでももっと多くの人に見てほしいです!!!!たのむ!!!!!!!!!!

tv.apple.com

*1:またリアンの感情に基づかないような穏やかな表情がより恐怖をかきたてるんですよね

*2:少なくとも私はめちゃくちゃ反省した

*3:そういった部分も含めて好きだなぁと思います

ユニバースは更新される /『ミスター・ガラス』感想

1月18日に公開された『ミスター・ガラス』は、『アンブレイカブル』と『スプリット』からなる「イーストレイル177トリロジー*1」19年越しの完結編となる作品であり、監督・脚本・製作を務めるM・ナイト・シャマランのキャリアにとっても一つの区切りとなる作品だ。


「ミスター・ガラス」予告編

シャマランの人生はそのフィルモグラフィとともにまるで物語のように語られてきた。
若くして大きな成功を収めるが、その後徐々にキャリアは低迷、一度はすでに終わった人の烙印を押されるが、自己資金で製作した作品により再び好評を得、新作の公開が期待される人気監督の地位に再び返り咲く。
あまりにもベタであり、あまりにも安易ではあるが、このような作家自身の人生と、作品のいかんが重ねられて語たられるという事自体がシャマランという映画作家の特異性を表していると言っても過言ではないだろう。
『ミスター・ガラス』は、このように何度も物語化されてきたM・ナイト・シャマランという驚異的な存在の、シャマラン自身による映画化であるといえる。
そして驚くべきことに、シャマランを信じ、時には疑ってしまっていた私たちの映画でもあるのだ。

《あらすじ》
舞台はスプリットのラストから3週間後、“群れ”の居場所を突き止めたデイヴィッド・ダンは、彼らに誘拐された少女たちを救出しに行くが、そこに覚醒したビーストが現れる。戦闘を繰り広げる内に警察により身柄を確保されたデイヴィッドとケヴィンの2人は、精神科医のエリ・ステイプルの監視下に置かれることになる。
連れてこられた施設には19年前に大規模なテロを起こしたミスター・ガラスこと、イライジャ・プライスも収容されていた。
ステイプル医師は「自分が超人だという妄想を持った人物」を研究対象としており、その妄想を消す治療のために3人を集めたという。
驚異的な頭脳を持つイライジャは鎮静剤漬けに、ケヴィンはビーストが出現しないように強制的に人格を切り替えさせるライトが備え付けられた部屋に、強靭な肉体を持ちながら水が弱点のデイヴィッドは水責め装置が付いた部屋にそれぞれ閉じ込められ、その妄想を手放すように治療が施される。

自分の能力を一切発揮することのできない部屋に閉じ込められるという圧倒的な無力感。ステイプル医師の治療を通して、徐々に己の力の実在が揺らぎ始める超人たち。この姿は作品の評価が低迷し、自信を失っていた頃のシャマランと重なって見える*2
また、この部分でイライジャ、ケヴィン、デイヴィッドの3人はそれぞれのテーマカラー(紫、マスタード、緑)に基づいた入院着を着ているが、その色味がとても薄い。この施設の内装自体も基本的にペールカラーだし、常に白っぽい色の服を身につけているステイプルによって、世界が徐々にぼやけていくような、象徴的な絵作りとなっている。
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そしてその薄ぼんやりとした世界から3人がそれぞれの色を取り戻すまでの展開において、メタ言及的なセリフの量と、展開の抽象度が徐々に加速していく。
つまりは、「普通こういう状況だったらこうなるよね?」というものが排除されていく。シャマランの強い意思の前では、常識は無力なのだ。
そこからラストにかけての展開は、全世界のシャマラニストが待ち望んでいたもの以外の何物でもない。
登場人物たちそれぞれが、自分であることを受け入れ、そして受け入れられる。そしてその姿が世界(あるいはユニバース)を塗り替えていく。
シャマランがずっと信じ続けてきた虚構の力を改めて提示するラストは、アンブレイカブルからの19年と、そこにあった様々な紆余曲折のすべてをも肯定する力強さを持っている。
終盤、とあるキャラクターから発せられる「信じてなかったなんて言わせないんだからね!」というセリフは、一度は自身を失いかけたシャマラン監督だからこそ、大きな意味を持つセリフであると言えるだろう。

私がシャマラン作品と出会ったのは2011年のキャリア低迷期だった。レンタルで見た『サイン』に衝撃を受け、『レディ・イン・ザ・ウォーター』でシャマラニストとして生きることを決定づけられた。
その後、『アフター・アース』で初めてリアルタイムでの公開作を体験し、『ヴィジット』『スプリット』と、再び評価を上げていき復活と言われている様子を喜びながら、復活というのはまだ早いのではないかという気持ちをずっと抱えていた。
なぜなら、映画全体の構造を使って、伝えるべきメッセージを表現するというのがシャマランの真骨頂だと思うからだ。
その観点から言って『ミスター・ガラス』は復活と言って間違いない作品だろう。
作品内外で流れた19年という時間と、メタフィクショナルな言及によって複数のレイヤーからテーマが立ち上がってくる。『ミスター・ガラス』で味わえる感動は、シャマラン映画でしか味わえないものだ。

取り扱っているテーマや、メタフィクショナルな構造、実際はきわめて局所的な出来事が世界を変えるできごととなるという構図は、『レディ・イン・ザ・ウォーター』と極めて近い。
その上で『レディ・イン・ザ・ウォーター』と比較して特筆すべきなのは、ジョセフ、ケイシー、イライジャの母、といった「見守る者たち」の目線が物語に大きく組み込まれている点だ。
見守るものたちの目線と映画を見る私たちの目線は、やがて重なり、共鳴していく。この要素があることで「本来比喩で描かれるものをそのまま出す」という『レディ・イン・ザ・ウォーター』の離れ業を使わなくても、テーマを描き出すことに成功しているのだ。これはシャマランの映画作家としての成熟であると言えるだろう。

シャマラン自身も今作の公開にあたり、「キャリアの一つの章が終わるようだ」とツイートしているように、『ミスター・ガラス』はシャマランの今までのキャリアにおいて一つの到達地点である。その上でさらなる進化の可能性を見せたという点において、今後シャマランがどのような作品を作っていくのか、より一層楽しみになったことは間違いない*3

映像面にもう少し触れると、『スプリット』から11も増えた20の人格*4を、その身体性*5までをも柔軟に変化させて演じ分けたジェームズ・マカヴォイの演技はもちろんのこと、19年の時を経て不敵さをましたサミュエル・L・ジャクソン、表情に哀愁が増したブルース・ウィリス、神聖な美しさが一層増したアニャ・テイラー・ジョイら、出演者のアンサンブルも見事。
アンブレイカブル』のジョセフ少年がそのまま真っすぐ大人になったようなスペンサー・トリート・クラークが今作において非常に大きな役割を果たしていて、個人的なMVPですね。
また『スプリット』から引き続き撮影を担当したマイク・ジオラキスによる撮影は相変わらず美しく、スーパーヒーロー映画とは一線を画した繊細で上品な絵作りと、創意工夫に富んだ浮遊感のあるカメラワークも素晴らしかったです。

長々と書いて来ましたが、とにかく
みんな早く映画館に行って『ミスター・ガラス』という出来事を、そしてシャマラン13年ぶりのフルスイングを見てほしい!!!!!!
ということです。

おまけとして『ミスター・ガラス』を見るにあたっての補助線となるものを紹介してこの感想を終わりにします。

アンブレイカブル & スプリット》

前作を見ていなくてもわかるように作ったと監督本人は発言していましたが、多分ほぼわからないと思います。今なら『アンブレイカブル』はPrimeビデオで100円、『スプリット』はPrime会員なら無料で見れますのでぜひ。

《Buried Secret of M Night Shyamalan》

『ヴィレッジ』製作中、まだブイブイ言わせてた頃のシャマランを対象にしたモキュメンタリーで、この頃のシャマランがよくわかります。

《ドレクセル大学卒業式でのスピーチ》

2018 Drexel Commencement - M Night Shyamalan Speech
ここで語っていることが、テーマとしてダイレクトに『ミスター・ガラス』に反映されている気がします。

《ローリング・ストーン誌 インタビュー》
rollingstonejapan.com
上記のスピーチで語られていることと内容は近いので、スピーチを見る時間がない方はこちらをどうぞ。

*1:というのが正式名称らしいですが、個人的には「シャマバース」という呼び方が好きです

*2:ちなみにこれは深読み以外の何物でもありませんが、『Buried Secret of M Night Shyamalan』というsyfy製作のモキュメンタリーでは、シャマランは子供の頃に溺れて死にかけたが、それによって超自然的な力を手に入れたという設定があり、デイヴィッドが幼い頃に溺れた経験があるのと重なります

*3:しかしながら現段階で発表されてるのはAppleの動画サービスで配信されるドラマなんですよね…

*4:ちなみに撮影では23の人格を演じたけど3つはカットされたらしい

*5:身体性にちなんで言えば、非常に脆い身体のイライジャ、人格によって容貌までが変貌するケヴィン、絶対に傷つかないデイビットと、三者の身体性が対比されているのもおもしろい

2017年に劇場で見た映画

個人的ベスト10

1. ジャスティス・リーグ

「皆知っている」と繰り返し歌われるオープニングに反して、作中で起こる殆どの出来事は地球の人間には感知されず、彼の復活をはじめとしたいくつかの奇跡が結果として地球に残されるのみ。待望のDCヒーローアッセンブルにしてはあまりにもこじんまりとしているこの作品がそれでも(だからこそ)特別なのは、その「奇跡」というものをこれ以上にない形で映像化しているからであると言えます。
「他の人とテンポが合わない」「友達が欲しい」という言葉をこぼすフラッシュことバリー・アレンにとって、自分と同じ速度の世界に生きる彼との出会いは喜びと同時に大きな恐怖をもたらす奇跡の瞬間であったことは間違いありません。この、ストーリーと映像表現が高度に合致した瞬間の美しさは何物にも替え難く、この瞬間を目撃できた事だけで『ジャスティス・リーグ』は私にとって忘れられない映画になりました。
また、人類であることからも逃れられず「人間らしく」生きる事もできない、バットマンを演じるベン・アフレックの重鈍さも素晴らしかったです。どうやらベン・アフレックバットマンはもうあと一本(フラッシュ単独映画)でしか見られそうにないというのが本当に残念で仕方ありません。
 

2. スイス・アーミー・マン

無人島で遭難した孤独に耐えかね自殺を試みていた男(ポール・ダノ)が、オナラをする死体(ダニエル・ラドクリフ)と出会い、まるで十徳ナイフのような万能機能を持つ死体と共にサバイバルを始めるという突拍子もない設定でありながら、他人とうまく関わることができない人間の苦しさも痛々しさも全て包み込んだような驚異的な作品です。
考えてみればこれもまた奇跡についての映画であり、ラストでそれを目撃した人たちの驚きや喜びや嫌悪など様々な感情が混ざり合った表情は今でも忘れることができません。実際に私はこのラストシーンで号泣していたんですが、一方で劇場内ではクスクス笑っている人もいて、他の人から見たら笑ったりギョッとしたりしてしまうような突拍子も無いくだらないことでも、ある人にとっては救いになり得るのだということを描ききったという点において本当に素晴らしい作品であり、また現実と空想、笑いと悲しみの間を柔軟に跳躍する美しい映像は、映画という形態の楽しさを改めて感じさせてくれた偉大な一本であると思います。
 

3. スプリット

様々なユニバースが乱立する今日のハリウッドにおいて、たったひとりで、しかも制作会社の壁も乗り越えて、いきなりユニバースを発動させたという点において、やはりM・ナイト・シャマランの只者でなさは尋常でないということを思い知らされた作品でした。
ジェームズ・マカヴォイが演じるそれぞれの人格の魅力やアニヤ・テイラー=ジョイの神聖さをも感じる佇まい、マイケル・ジオラキスによる撮影、ホラー映画のお決まりを逆手に取った展開など素晴らしい部分はたくさんあるのですが、映画の終盤で主人公とビーストが対峙した時に「こちら側の存在のみが生き残るに値する(つまりそれ以外は死ぬ)」というある意味選民思想的なシャマラニズムの法則が唐突に全面的に適応された場面こそがこの映画の肝であるように思います。
アンブレイカブル』がある種の源流となった近年のヒーロー映画のトーンが徐々に古びたものになる中で、シャマランが次回作でどのようなヒーロー映画を作り上げるのか非常に楽しみです。
 

4. マンチェスター・バイ・ザ・シー

過去のとあるできごとが理由で地元を離れ、人との関わりを絶って生きているリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)が、兄の死をきっかけに地元であるマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻り、甥パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人として生活をすることになるというストーリー。その過去のとあるできごと以前と現在がまるでフラッシュバックするかのように細かく、唐突に切り替わる構成が印象的でした。
大きな感情表現ではなく細かい仕草などでディテールを積み重ねていって人格や心境を表現するケイシー・アフレックの演技が以前から大好きなんですが、作品全体でそういった細かなディテールが積み重ねられられたような映画だなと思います。
悲しみとの向き合い方は人それぞれで、「おじさんは世間話とかできないの?」と言われてしまうほど人との関わりを絶ってしまっているリーと、毎日別の女の子と遊びまわってるパトリックはお互いの違いに困惑し、すれ違ったりするわけですが、そんな2人がお互いのあり方を尊重するようになるきっかけがものすごく予想外で、だからこそ真に迫っていました。
また、悲しみや困難は乗り越えることによってのみ解消され、カタルシスがもたらされるといった従来の作話上の強迫観念が否定され、困難を乗り越えられないと認めて距離を置くことも一つの解消であり救いであるということを描いたという点において非常に大きな意味を持った作品であると思います。
 

5.トランスフォーマー 最後の騎士王

マイケル・ベイはこれまで事あるごとに「トランスフォーマーを監督するのはこれが最後」と発言してきましたが、『最後の騎士王』は本当にこれが最後になるのではないかと思ってしまうような強い気持ちのこもった作品でした。それは、「こんな映画は子供だましの邪道である」と言われ続けたマイケル・ベイが、王家としての正当性を主張するためにでっち上げられた作り話である「アーサー王伝説」を選び取ったということからもその本気具合が推し量れます。
サム・ウィトウィッキー(シャイア・ラブーフ)という巻き込まれ型主人公から、能動的主人公のケイド・イェーガー(マーク・ウォールバーグ)に替わったことで、人間社会に馴染むことのできない存在の物語であるという側面がより強まったトランスフォーマーシリーズですが、今作ではケイドだけでなくアンソニー・ホプキンス演じるエドや、ローラ・ハドック演じるヴィヴィアンと、ケイドの脇を固める人物もことごとく「物語」を信じてしまっている側の人間となっています。そのようなキャラクターたちが自分のできるベストを尽くしながら邁進した結果訪れる終盤の展開は、マイケル・ベイやケイドたちの誇大妄想が実体化したように思えて、涙なしには見ることができませんでした。
大作映画であればVFXやアクションのクオリティは監督に依存せず一定のレベルが担保されるようになったということを言う人もいますが、やはり画面の構成、情報量、動きの作り方、捉え方など、凄い画面を作る手腕においてマイケル・ベイは別格であり、機械をいきいきと動かすことにかけての執着心と技術は他の監督の追随を許さないものであると思います。
 

6. グッド・タイム

知的障害のある弟ニック(ベニー・サフディ)と一緒に強盗をしたら弟だけが捕まってしまい、保釈金も支払えない間に弟は刑務所から病院送りに。なんとか弟を助け出そうと兄コニー(ロバート・パティンソン)は病院に忍び込むが…というストーリー。素人犯罪ならではの手際の悪さや事実誤認が相次いでどんどん事態が悪化していくという、もしコーエン兄弟だったら完全にコメディになっているだろうなというプロットで、実際に最初の脚本はもっとコメディタッチだったそう*1 なんですが、最終的にシリアスなトーンになったのは、もはや笑いにはできないという判断からなのかなという気がします。
しかしこのコメディになりそうでならない危ういバランスが、弟だけは助け出そうというコニーの切実さをより強調していますし、夜のニューヨークを移動し続ける映像やソリッドな劇伴と伴って、非常に美しく印象的な映画でした。
 

7. ゲット・アウト

いつのまにか催眠術にかけられてしまった主人公のように、世界を覆っていたものが徐々に剥がれ落ちて、あれよあれよという間にとんでもないところに連れて行かれるような感覚がすごく印象的でしたし、その状況の変化がきちんと映像として表現されていたのが素晴らしかったなと思います。特に、タイトルである「Get out(出て行け)」の本当の意味が判明した瞬間の天地がひっくり返ったような衝撃は忘れることができません。
個人的な関心からアメリカの差別の歴史に関して本を読んだりはしてますが、どうしても受け取れきれていないニュアンスはあるんだろうなと思いつつ、中盤のパーティーのシーンではもしかしたらこういう振る舞いを自分もしているのかもしれないし、もし自分の身体的特徴をこのように言及されたらと思うと胃の底から冷えるような思いがして、今年見た映画の中ではダントツに怖かったです。
黒人差別を要素として扱っている作品(ドラマ『アトランタ』のS1 ep.7とか)を見ると「これゲット・アウトじゃん…」とある種ジャンル化して見てしまうというか、自分の鑑賞態度として「ゲット・アウト前」「ゲット・アウト後」に分けられるぐらいにエポックメイキングな作品でした。
本作をはじめ、『ヴィジット』『Happy death day』など、Blumhouse製作の作品は人や社会の中に潜在している恐怖の対象を選び取るのがすごく秀逸ですし、だからこそヒットを飛ばし続けられているのだろうなと思います。
 

8. スター・ウォーズ/最後のジェダイ

まさかスターウォーズがベストに入るとは…というくらいSWシリーズには一切の思い入れが無かったのですが、ハリウッド映画における金字塔であり、ある種の呪いであり、それこそ神話である「スターウォーズ」を他でもないSWの正編でもって殺さなければならないという強い気持ちを感じて、一瞬で好きになりました。
また本作では、ファーストオーダー、レジスタンスの区別なく個々人が企てる計画はすべて失敗し続けるんですが、それでも大きな流れというのはきちんと存在し続けていて、たとえ神話に憧れ神話に選ばれた人物であっても、宇宙や神話といった人間の範疇を超えたものを個々人の意図によってどうこうすることはできないということを描いたのも素晴らしかったなと思います。
「お話」を破綻させながらこれらのコンセプトを貫き通したのはまさに偉業ですし(個人的にはストーリー展開の良し悪しは過去に固定化された評価軸なのでそこにこだわっても未来は無いと思っています)、新三部作の次の展開が楽しみになる非常にエキサイティングな作品でした。
また、個人的にハックス将軍が大好きなんですが、他の登場人物が着々と成長を遂げる中で一切の成長を見せない彼が次どのような展開を迎えるのかというのも非常に楽しみです。
 

9. ムーンライト

どこにも居場所がないという佇まいの青年期のシャロンが画面に映るだけで涙が出てくるような映像の強さももちろんですが、少年期・青年期・壮年期と観客側に時間の断絶が発生する構成の中で、どの情報をどこで開示するのかという脚本の組み立て方がすごくスマートで、いい意味で感傷的でないのが好きでした。
『DOPE!』を見たときにも思いましたが、黒人男性にとって男らしくない、心身ともにマッチョでないということは生きていく上での大きな障害になるのだなというのが伝わってきてつらかったですし、そんなシャロンがずっと心の拠り所にしていたものが一瞬でも報われたことは本当に幸福だったなと思います。
 

10. ビジランテ

埼玉県の地方都市で30年ぶりに再会した三兄弟を主軸とした群像劇。ひたすらに不穏で、どん詰まりとしか言うほか無い息苦しさが印象的でした。「日本の地方都市のリアル」なんてものは私にはわかりませんが、関東の田舎の方に住んでいた頃は確かにこういった恐ろしいものの片鱗を感じとることはあって、そういったやだみがひしひしと身にしみこんでくるような作品です。
自動車での移動シーンが多いのが本作の特徴とも言えますが、アメリカ映画のそれにあるような空間の広がりは一切なく、畑と送電線が広がる景色の中でほぼ同じ道をぐるぐる走りつづける映像に、土地からの逃れられなさが凝縮されていて本当につらい気持ちになりました。
桐谷健太演じる三男・三郎が役柄として若干格好良すぎる気もしますが、それぞれの登場人物がそれぞれの正義や守るべきものに基づいて行動していて、決してその範疇を超えて来ないのも良かったです。
 

 
 

その他印象に残った作品

関ヶ原

時代劇なんですが、会話の間がYouTuberくらいにキリッキリに詰められているのがすごく印象的で、その上バリッバリの訛りが入ってくるのでセリフがほぼ聞き取れない、しかし映像と会話のテンポがものすごく気持ちいいからおもしろい、という稀有な体験ができた映画でした。あと有村架純の動きがおもしろいです。

フィッシュマンの涙

2017年上半期のインターネットを騒がせたものといえば、性の喜びおじさんの存在とその死だと思うんですが、その一連の流れとオーバーラップして見てしまう部分がありました。

WE GO ON 死霊の証明

死ぬのが怖いので死後の世界の存在を証明できる人を募集した主人公が、寄せられた情報について調べていく内に二重の意味で取り憑かれていく様子がすごく良かったです。

キングコング 髑髏島の巨神

様々な巨大生物大暴れ+地獄の黙示録+日本刀という過剰サービス。トム・ヒドルストンが演じた傭兵ジェームズ・コンラッドは、なにが起きるのかわからない状況では無駄なことをしないのが一番賢明であるということを教えてくれました。

バーフバリ 伝説誕生 & 王の凱旋

想像をやすやすと超えてくるアクションと映像展開に驚かされっぱなしでした。エンターテイメントかくあるべしというサービス精神に溢れた素晴らしい作品です。バーフバリ!

パッセンジャー

予想以上にサスペンスかつ歪な映画ですごくおもしろかったです。無重力プールとか、映像的にもフレッシュさがありました。この役はクリス・プラットじゃなかったら気持ち悪さが強くなってしてしまって成立しなかっただろうなぁと思います。

バーニング・オーシャン

どうにかこうにか頑張るけれど一向に状況は良くならないという、ピーター・バーグ監督の前作『ローン・サバイバー』の崖から転げ落ちるシーンが常に続いていくような作品。本作と『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『最後のジェダイ』を見ると、アメリカ映画における勝敗ラインの引き方は全く変わったのだなと言うことを思います。

ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ

みんな大好きマイケル・キートンの悪役っぷりが相変わらず光り輝いていて最高でしたし、マクドナルドが飲食業界において何が画期的だったのかということがわかりました。

パターソン

パターソン夫妻の距離感とか過保護感に治療っぽさを感じてしまって個人的には『ゲット・アウト』の次くらいに怖かったです。あと、大きな車を運転している時特有の緊張感のある表情ってやはり映像的におもしろいなと思いました。

バリー・シール アメリカをはめた男

邦題だとアメリカをはめたとなっていますが、実際には原題「AMERICAN MADE」の通り、アメリカに作られ、でっち上げられ、はめられた男なんですよね。極彩色で荒々しい編集の映像の中でいつの間にか大変なことになっていくトム・クルーズがとても良かったです。

斉木楠雄のΨ難

山崎賢人の空っぽ感が以前から非常に気になっていたんですが、そのmeaninglessnessと天才っぷりが遺憾なく発揮されていたなと思います。

ウォーマシン 戦争は話術だ!

Netflixオリジナル映画に関してはそんなに本数は見れていないのですが、その中で一番好きでした。下顎を突き出したブラピは最高。

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

妻をなくしたジェイク・ギレンホールの佇まいと、「全てのものごとが象徴に思える」というセリフで全てを持ってかれました。

セントラル・インテリジェンス

肥満児のいじめられっ子から1日6時間の筋トレを20年続け筋肉隆々のCIAエージェントになったドウェイン・ジョンソンが、唯一自分を助けてくれたという理由で今は冴えない会計士をしているケヴィン・ハートを頼りにするというあらすじの時点で泣きました。オフィスでの戦闘シーンがギミックに工夫が凝らされていて良かったです。

シャマラン作品における「どんでん返し」の役割と『スプリット』の新しさについて

シャマランはなぜ「衝撃のラスト」を用意するのか

さて、昨日ついにM・ナイト・シャマラン監督の最新作『スプリット』が日本公開されました。f:id:ciranai1:20170513104553j:plain

あらすじ
級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が乗り込んできて、3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な密室…彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男はさっきとは違う異様な雰囲気で、姿を現す度に異なる人物に変わっていた― なんと彼には23もの人格が宿っていたのだ!そして、さらに恐るべき24番目の人格が誕生すると、彼女たちは恐怖のどん底に。
3人 VS <23+1>人格。果たして、3人は無事に脱出できるのか!?

http://split-movie.jp/


前作『ヴィジット』と同じく、『パラノーマル・アクティビティ』『パージ』シリーズのプロデューサーであるジェイソン・ブラムと再びタッグを組んだ今作。『ヴィジット』と比べるとジョークは控えめなものの、相変わらずのブラックユーモアとサスペンスと人間ドラマが、緻密な演出と映像で描かれるシャマランらしい作品となっています。
また、1月の全米公開時には3週連続で興行収入ランキング1位を獲得しシャマラン史上3番目の興行収入を記録。レビュー集計サイトのRotten tomatoesでは75%のFresh評価を獲得*1するなど、興行的・批評的にも成功を収め「シャマラン完全復活」等と喧伝されています。
私の記憶が正しければ『ヴィジット』でも復活してた気がしますが、『スプリット』におけるラストの「どんでん返し」がよりその印象を強めているのではないでしょうか。
では、そもそもシャマランはなぜ驚きの結末を用意するのでしょうか。それは観客を楽しませる作劇上のテクニックでしかないのでしょうか。
シャマラン監督の新作公開時には「私が考える最強のシャマラン論」を書くことが(個人的に)恒例行事化していますが、今回はシャマラン作品にとっての「twist(どんでん返し)」の役割とは何なのか、そして『スプリット』におけるtwistの「新しさ」について書いていこうと思います。
 
 

シャマランとtwist

シャマランの名を世に轟かせた作品が長編第三作目の『シックス・センス』であることに異論はないでしょう。以来、twistはシャマラン監督のトレードマークかのように言われてきました。
その一方で、過去のインタビューでは「常にどんでん返しを期待されるのは本意ではない」といった監督自身の発言も残されています。
M・ナイト・シャマラン監督、“どんでん返し”を期待される心境を告白 | ニュースウォーカー
『ヴィジット』M・ナイト・シャマラン監督 単独インタビュー - シネマトゥデイ

個人的にもシャマラン監督の最も優れている部分は、その結末に至るまでのドラマの描き方や演出、画作りの巧みさ、そして通底する思想にあると考えていたため、「どんでん返し」にばかりフォーカスされる論調には正直うんざりしていました。
しかし最近では、本年のアカデミー賞作品賞発表時のアクシデント*2に際して「このシナリオは僕が書いたんだよ」との小粋なジョークをかましたり、一周回って完全に持ちネタ化させた発言をしています。

この件に関しては、シャマラン持ち前のサービス精神が炸裂しただけかもしれませんが、もしかしたら何らかの気持ちの変化があったのかもしれません。
なぜならば、シャマランは『スプリット』においてtwistの新たな使い方を生み出し、その役割を明らかにしたからです。
では、twistの役割とはなんなのか、それを説明するためにまずはシャマランとその作品に通底するテーマついて詳しく述べていきましょう。
 
 

映画を信じる男、シャマラン

前作『ヴィジット』の主人公ベッカは、10年以上絶縁状態にある自分の母親と祖父母を和解させるために祖父母を訪問し、ドキュメンタリーフィルムを撮ろうとします。
そこでベッカが、引き出そうとする和解の物語は半ば強引でもあるんですが、作中で何が起ころうともカメラを回し続け物語を紡ごうとするベッカの姿には、インタビューで語られる通り監督自身が投影されています。

また『ヴィジット』だけでなく、『アンブレイカブル』のMr.ガラスことイライジャが自分の中で作り上げた仮説を生きる拠り所としていたり、『サイン』のヘス一家が端から見れたらバカバカしく思える符合によって救いを得たように、シャマラン作品では「ストーリー」が人を救うものとして描かれています。
つまりシャマランは、映画や物語といったある種の「都合の良い嘘」が人を癒やし、救うのであるということを信じているのです。
だからこそシャマランはその作品において、映画そのものの存在を前景化させ、「嘘である」ことを明示しようとするのではないでしょうか。


 
 

シャマランの挑戦と挫折

前段のような試みは『サイン』〜『レディ・イン・ザ・ウォーター』のキャリア中期の作品に顕著に見られます。
『サイン』のラストでは、うまくできているとは言い難いクオリティの宇宙人を登場させ、それまで作中で機能していた恐怖の対象を脱臼させました。
レディ・イン・ザ・ウォーター』では「作家」が「ストーリー」と出逢い世界を救うというあまりにもストレートすぎる物語を描いています。
また、シャマラン作品の特徴の1つ「主張の強すぎるカメオ出演」も、作品の外側を意識される効果を持っています。
しかしこれらのやり方は非常にリスクが大きいです。というか一般娯楽作を目指すのであればリスクしかありません。
実際に、『サイン』ではまだ興行的にも批評的にもポジティブな反応を得られていたものの、『レディ・イン・ザ・ウォーター』では脚本段階でディズニーとの契約を切られ、それにもめげずワーナー・ブラザーズの元で制作したものの興行収入は製作費を下回り、ゴールデンラズベリー賞には4部門ノミネート、最低監督賞と助演男優賞でシャマラン監督が2冠という結果になりました。
その後の作品における方向転換や低迷については述べるまでもないでしょう。
しかしこの時期の作品については、そのリスクを取ってでもやらなければならない切実さがあったのではないかと思います。なので、個人的にはこの時期の作品が大好きですし、『レディ・イン・ザ・ウォーター』が監督の最高傑作であると考えています。


 
 

シャマラン作品におけるtwistの役割

長い文章にお付き合いいただき誠にありがとうございます。さて、いよいよ本題です。
シャマラン作品を特徴づける様々な要素は映画の作り物性を意識させるはたらきをしていると述べましたが、twistも同じ役割を持っています。
つまり、twistによってそれまで見ていたもの、スクリーンに映されていた物語が作り物であるということを鑑賞者に突きつけるわけです。
たとえば『シックスセンス』では、目に見えないものを目に見えるように描いていたという嘘がラストで明らかになります。
また、『ヴィレッジ』では、セットを外側から映すかのようなネタばらしによってその舞台設定を覆しました。
 
 

『スプリット』の新しさ

『スプリット』でも確かにどんでん返しが行われているのですが、『シックス・センス』や『ヴィレッジ』のそれとは根本的に異なっています。
今までのシャマランのtwistはフィクションを見る際の「おやくそく」を覆すことで作られいましたが、『スプリット』におけるtwistは、その作品世界を拡張することによって成し遂げられているのです。
これは過去のシャマラン作品だけでなく、他の映画作品と比べても初めてと言っていい試みなのではないでしょうか。
どのようにしてその世界が拡張されるのか、まだ見ていない方はぜひ映画館でその驚きを体験していただきたいですし、見たけどよくわからないぞ、という方はググれば多分わかりますので、その足でツタヤなりゲオに駆け込んでいただければなと思います。
また、今回はどんでん返しという点にフォーカスした文章となりましたが、複数の人格を演じ分けるジェームズ・マカヴォイや、それに対峙するアニャ・テイラー=ジョイの存在感などなど見どころは盛りだくさんなので、ぜひ映画館で見て、感想を聞かせてください。
 
 

さいごに

シャマランの新作にかこつけた最強のシャマラン論を書く際には今後のシャマランの動向について書くのが(自分の中で)恒例となっているのですが、ここから先は一部ネタバレも含むので未見の方はご注意ください。
とはいえ、日本公開が世界公開から4ヶ月も遅いせいでもうネタバレもクソもない感じになってしまっているのが現状なんですが…。(海外ではソフトも発売されてるし…)
 
 
 
 
 
 
 
先日、『アンブレイカブル』と『スプリット』の続編そしておそらく完結編となる『Glass』の製作と、2019年1月の公開が発表されました。
『Glass』にはブルース・ウィリスサミュエル・L・ジャクソンジェームズ・マカヴォイ、そしてアニヤ・テイラー=ジョイ(個人的にはここが一番うれしい)らキャストの続投も決定しております。
(『エアベンダー』も『アフター・アース』も続編の話は立ち消えたので)シャマラン作品としては初のシリーズものになるわけですが、シャマランのことですからおそらく一筋縄ではいかないと思うので非常に楽しみです。
あと個人的な見解として『スプリット』では極端な言い方をすると「超越的なものの存在を信じられないものは価値なし」といった感じのシャマランイズムが復活してきているように感じたので、そろそろ『サイン』や『レディ・イン・ザ・ウォーター』級の作品がまた見られる日が近いのではないかという予感がしています。そしてその日こそ私は「シャマランの完全復活」を叫ぼうと思います。

2016年に見た映画

もうね、2017年明けて2ヶ月も経ってるんですけど、一応2016年に見て印象に残った映画について書いておこうかなーと思います。
大体の作品がソフト化とかもされてきていますし。
今年は特にランキングもなく、感想も書いたり書かなかったりというハイパー怠惰スタイルでお送りします。

ブレイキング・ゴッド


ブレイキング・ゴッド [DVD]

監督:トニー・マオニー
脚本:アンガス・サンプソン、リー・ワネル、ジェイミー・ブラウン
出演:ヒューゴ・ウィービング、アンガス・サンプソン、リー・ワネル

如何ともしがたい事情からドラッグの密輸をすることになった気弱な主人公が警察に捕まった結果、監禁状態のなか証拠が出ないようにひたすらうんこを我慢するという実話をもとにしたオーストラリア映画です。
この邦題、原題とはかけ離れたタイトルを付けられていて、「ドラッグだからって『ブレイキング・バッド』に寄せるのは安直すぎ」という批判もあったんですが、あながち間違いではないというか、この作中では「絶対的支配者への勝利」が2つ重ね合わせながら描かれています。
地縁や血縁の板挟みになりひたすら排泄を我慢していた主人公が大きな反逆を行うまでの過程が、ほぼワンシチュエーションで緊張感を保ったまま描かれているという巧みさに舌を巻きました。
2016年はワンシチュエーションで展開される作品が豊作でしたが、『ブレイキング・ゴッド』も間違いなくその中の一本に入るのではないかと思います。
 
 

ドリーム ホーム 99%を操る男たち


ドリーム ホーム 99%を操る男たち [DVD]

監督:ラミン・バーラニ
脚本:ラミン・バーラニ、アミール・ナデリ
出演:マイケル・シャノンアンドリュー・ガーフィールドローラ・ダーン

サブプライムローン問題により、財産を失った人々とその徴候にいち早く気がついて財を成した人の物語という点で、同時期に公開された『マネー・ショート』ととても近いんですが、こちらは家を失った側が主人公ということもあり、全体的に重苦しい雰囲気の作品。
差し押さえのシステムを利用して荒稼ぎをしている不動産屋役のマイケル・シャノンが本当に素晴らしくて、いくらシステムがクソでもそのクソに手を突っ込んで金を稼いでいる時点で自分もクソみたいな諦観が常ににじみ出ているのがとても良かったし、だからこそ映画の終わりに彼に起こる事とは裏腹に安堵したような表情で発せられるセリフが非常に印象的でした。
この作品には、家を差し押さえられる人々が沢山出てくるのですが、自分の今住んでいる「この家」に対する執着心がすごく強いのがおもしろかったですね。アメリカの映画とかドラマを見ていると、持ち家があるということが社会の構成員であることの証左になっているのかなと思います。
 
 

ちはやふる上の句


【Amazon.co.jp限定】ちはやふる -上の句- 豪華版 Blu-ray&DVDセット(特典Blu-ray付3枚組)(<上の句><下の句>豪華版連動購入特典:「オリジナルハンカチ」引換シリアルコード付)

監督・脚本:小泉徳宏
出演:広瀬すず野村周平、真剣佑

広瀬すずさんをスクリーンで初めて見た時、映っているだけで画面を保たせる力が異常だなと思ったのが強く印象に残っているのですが、そんな「広瀬すず力(ぢから)」が今作においても遺憾なく発揮されていました。
後編にあたる『下の句』とくらべて『上の句』においてはヒロインであるちはやの人物描写が希薄で、ただの百人一首モンスターのようにも見えます。しかし、人々はそんなちはやに引きつけられ、自ずとドラマが発生する。そのような圧倒的な求心力と空洞性は『桐島、部活やめるってよ』の登場しない主人公、桐島のようであり、それがスクリーンに映って説得力を持つのはひとえに広瀬すずさんの存在に担保されている部分があると思いました。
また、『上の句』では自分の殻にこもることで自尊心を守っていた「机くん」という登場人物が、圧倒的な光を持つちはやに出会ったことで己の影と向き合うことになるという展開が後半に置かれているのですが、圧倒的な才能の輝きを持つ人と対峙した時の鬱屈に心覚えがある人は涙なしでは見られない展開というか、涙なしには見られません。
映像面の話をすると、一昨年『ヒロイン失格』を見たときにマンガ特有の誇張表現や比喩表現を映画に翻訳する手法の独自進化っぷりに驚かされたんですが、『ちはやふる』ではそれが更に進化しているように感じました。
例えばですけど、かるたが壁に刺さるんですよ。勢いが強すぎて。
そういった劇画的な表現と、スローモーションを多用したファンタジックな表現が相乗効果を生み出していて、非常におもしろかったですし、このような表現がどんどん進化していったら良いなと思います。
 
 

ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ>


ミュータント・タートルズ シリーズ ブルーレイセット(2枚組) [Blu-ray]

監督:デイブ・グリーン
脚本:ジョシュ・アッペルバウム、アンドレ・ネメック
出演:ミーガン・フォックス、ウィル・アーネット、スティーブン・アメル

この作品には、「虚構のヒーロー」と「真のヒーロー」が登場します。「真のヒーロー」とはもちろんタートルズのことであり、「虚構のヒーロー」とは前作においてシュレッダーを倒したという嘘をつくことになりタートルズの代わりに街のヒーローとなったヴァーンのことです。
前作のラストでは自らの意思でその姿を隠すことを選択したタートルズですが、やはりティーンエイジなのでその処遇に納得できているわけでもなく、陽の光を浴びて堂々と歩きたい、そういった気持ちを抱えています。
そして今作において、タートルズには人間になれるかもしれないチャンスが訪れるのですが、その場面においてタートルズだけでなく、ヴァーンやエイプリルなどの人々が取った行動には王道でありながらも極めて現代的であり、ヒーロー論としてかなり心を揺さぶられました。
画面全体にたぎる過剰さや登場人物がアホ過ぎて逆に話がサクサク進むテンポ感、新キャラのケイシー・ジョーンズの車大好きボンクラ野郎感、ミーガン・フォックスなど、マイケル・ベイ印な部分も多分にあるのですが、全体的な「未知との遭遇」ものっぽさや全体的な優しさは『アース・トゥ・エコー』のデイブ・グリーン監督ならではなのかなという印象を受けました。
 
 

グランドフィナーレ


グランドフィナーレ [Blu-ray]

監督・脚本:パオロ・ソレンティーノ
出演:マイケル・ケインハーヴェイ・カイテルポール・ダノ

控えめに言っても最高の映画です。
 
 

ヒメアノ~ル


ヒメアノ~ル 通常版 [Blu-ray]

監督・脚本:吉田恵輔
出演:森田剛濱田岳佐津川愛美ムロツヨシ

タイトルの出し方オブザイヤー。
あの瞬間の「決定的なものごとが始まってしまって後には戻れない」感は何回見ても鳥肌が立ちます。
吉田恵輔監督の底意地の悪さが炸裂していて素晴らしいです。
 
 

葛城事件


葛城事件 [Blu-ray]

監督・脚本:赤堀雅秋
出演:三浦友和南果歩新井浩文

トッポかと思うくらい最初から最後まで途切れることなくヤダみのぎっしり詰まった作品。恐ろしくつらいけれども、時折挟み込まれる黒すぎるユーモアに笑ってしまう。一体どうしたらここまで悪意に満ちた話を作れるのか知りたいです。
この作品では、とある一家が崩壊するまでの物語が描かれているわけですが、何が辛いかって誰一人悪意を持って行動していない、それなのにどんどん状況が悪化していくんですよね。
三浦友和さん演じる父親も、別に家族を不幸にしようとして粗暴で尊大な振る舞いをしているわけではなく彼が理想とする父親像や家族像というものに近づこうと必死に頑張っているだけで。
誰に対しても何に対しても一切の救いをもたらさない、その容赦なさに感動しました。
 
 

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生


バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 [Blu-ray]

監督:ザック・スナイダー
脚本:クリス・テリオ、デヴィッド・S・ゴイヤー
出演:ベン・アフレックヘンリー・カヴィルジェシー・アイゼンバーグ

アカデミー賞主演男優賞を獲得した弟(ケイシー・アフレック)とは対照的に、お兄さん(ベン・アフレック)出演の今作はラジー賞を4部門受賞してしまいましたが、妄執にかられていたバットマンがジャスティスを誕生させる瞬間とか、ジェシー・アイゼンバーグ演じるレックス・ルーサーの悲しさとか、やはり圧倒的に美しくて強く印象に残っています。
DCEUはMARVELと比べると一般的な評価も芳しくないですし、製作過程におけるゴタゴタが聞こえてくることも多いですが、絶対にこの挑戦を最後まで続けて欲しいと思っています。
 
 

日本で一番悪い奴ら


日本で一番悪い奴ら Blu-rayスタンダード・エディション

監督:白石和彌
脚本:池上純哉
出演:綾野剛、YOUNG DAIS、植野行雄

犯罪映画でもあり、コメディ映画でもあり、そんな犯罪に手を染めた奴らの青春映画でもある作品。
 
 

ロスト・バケーション


ロスト・バケーション(初回生産限定) [Blu-ray]

監督:ジャウム・コレット=セラ
脚本:アンソニー・ジャスウィンスキー
出演:ブレイク・ライブリー

ジャウム・コレット=セラ監督による『フライト・ゲーム』に引き続きなワンシチュエーションサスペンス映画。
作品のほとんどが海の中の小さな岩礁の中で繰り広げるのにも関わらず途切れることの無い緊張感には、とてつもない演出力(ぢから)とブレイク・ライブリー力(ぢから)を感じましたし、サメに対処するための手を変え品を変えのアイディアが本当にフレッシュでした。
近年、変なサメの映画が量産されておりますが、スタンダードなサメ映画の新たなる傑作だと思います。
 
 

DOPE/ドープ!!


DOPE/ドープ!! [Blu-ray]

監督・脚本:リック・ファムイーワ
出演:シャメイク・ムーア、トニー・レボロリ、カーシー・クレモンズ

ギャングが幅を利かせている地域に住む90年代ヒップホップが大好きなオタク青年が、ちょっとしたトラブルから薬物取引に巻き込まれるという筋書きのクライムコメディなんですが、ステレオタイプな価値観や固定化したルールをいかにしてひっくり返すかという点においてこれが今のHIP HOPなのかなと思いました。
あと、映画全体の構成がものすごく巧みで、主人公がずっと抱えていた小さな問題をラストに解決するのですが、その見せ方に鳥肌がたちました。
ファレル・ウィリアムス音楽監修をしていますし、ファッションも美術もLAのロケーションもきれいで、エンタメとして気軽に楽しめるタッチでありながら極めて現代的な問題を取り扱っているというそのバランスも好きです。

アスファルト


監督・脚本:サミュエル・ベンシェトリ
出演:イザベル・ユペール、ジュール・ベンシェトリ、マイケル・ピット

 
 

COP CAR/コップ・カー


COP CAR/コップ・カー [Blu-ray]

監督:ジョン・ワッツ
脚本:ジョン・ワッツ、クリストファー・フォード
出演:ケヴィン・ベーコン、 ジェームズ・フリードソン=ジャクソン、ヘイズ・ウェルフォード

 
 

アラサーがフリースタイルダンジョンを見てラップを始めた結果

若者のつもりがもうすぐ28歳でロックスターであればそろそろ死んでしまう年齢なんですが、昨年なにを思ったのか唐突にラップを始めまして。思いのほかいろいろなことがあったので2016年を振り返ってみようと思います。
だいぶ長くなってしまったので、長文とか読むのめんどくせぇという方は下記のリンク先にあるアルバムを聞いてもらえると嬉しくて小躍りします。

MAZAI RECORDS - "MAZACON1" - Download | Added by MAZAI RECORDS | Audiomack
MAZAI RECORDS - "Python Code" - Download | Added by MAZAI RECORDS | Audiomack
 

きっかけ

2015年の末あたりにtwitter上で色んな人が「フリースタイルダンジョン」と言っているのが目に入り、気になってググり、Youtubeで見て「やべ〜〜〜〜〜かっけぇ〜〜〜〜〜」となったのが最初のきっかけです。
はい、完全にミーハーなやつですね。
それからしばらくはちょこちょこバトルの動画を見たり、たまにtwitterで「ラップできるようになりて〜〜」と投稿したりはしていたのですが、実際にラップを始めるまでにはしばらく間が空きます。
 

課題曲

「ラップできるようになりて〜〜〜」と言いまくっていた2016年の2月ごろ、ヒップホップ好きの友人Kから「ラップ練習して一緒にカラオケに行こうぜ!課題曲はこれだ!」とこちらのURLが送られてきました。


[J-HIPHOP] Buddha brand - 大怪我3000 [歌詞付き]

どう考えても初心者向けではないと思うのですが、1番最初にこの曲を紹介してくれた友人には今になってとても感謝しております。
しかし生まれつきの腰の重さが災いし、課題曲をふられてすぐに練習を始めたわけではありませんでした。BUDDHA BRANDのCDを購入したのはそれから1ヶ月後、ラップを始めたのは更に2ヶ月後になります。
 

練習開始

とはいえそれまで何もしていなかったわけではなく、2月から5月にかけてヒップホップ/ラップ系のイベントにちょこちょこ遊びに行ったり、BUDDHA BRANDダンジョン出演者まわりの音源を聞いたりしていました。
そして、とあるライブ行ったときに突然何かの閾値を超えたのか、「ヒップホップ、あるいはラップミュージックというものがどういうトピックを扱っていて何を指向しているのか」がぼんやりと、しかし唐突に分かった瞬間がありました。
またその時直感として、その指向性というものが自分が大学生の後半から興味を持ち続けていたことと結構重なるのではないか(この点に関してははまだ自信を持って言語化することができないのと、長くなりそうなので割愛します)と思ったのもあり、それならば私がラップにチャレンジする意味はあるな、ということでその日帰ってすぐに練習を始めました。
これが2016年の5月8日のことです。
 

ヒップホップ入門

音楽を聞く事自体はもともと好きだったので、中学生の頃に8mileの流れでエミネムを聞いたり、大学生の頃にgroup_inouとかキエるマキュウを聞いたりと、ラップミュージックやヒップホップにもあたるような音楽を聞いてはいたんですが、ジャンル聞きするタイプではなかったのもあってヒップホップやラップというものを意識して聞いてはいませんでした。
しかし、フリースタイルダンジョンの話題を中心として日々twitter上で繰り広げられる学級会を目にする内に、これは文脈とか歴史とかが重んじられている文化なのだなということが薄々わかってきたので、根っからのお勉強野郎精神を全開にして、まずは知識を入れるところから始めました。
主に読んだのは、『文化系のためのヒップホップ入門』『LEGENDオブ日本語ラップ伝説』、あと友人Kからもらった『ラップのことば』です。

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

LEGENDオブ日本語ラップ伝説

LEGENDオブ日本語ラップ伝説

ラップのことば (P‐Vine BOOKs)

ラップのことば (P‐Vine BOOKs)

『文化系のためのヒップホップ入門』はアメリカにおけるヒップホップの成り立ちから今までの流れがまとまっていてわかりやすかったですし、『LEGENDオブ日本語ラップ伝説』は後追いだとつかみにくい当時の温度感やラッパーどうしの関係性が伝わってきておもしろかったです。
『ラップのことば』は特にK DUB SHINEさんのパートに顕著なんですが、ラップに特有のロジカルさとかシステマチックな要素を知ることができて、ラップというある種の言葉遊びにより興味を持ちましたし、ものすごく参考になりました。
 

練習会参加(6月)

そんなこんなで、大怪我を練習したり本を読んでいるタイミングで「初心者向け女子ラップ練習会(G.I.R.L)」の告知と参加者を募集するツイートが目にとまりました。
謙遜するまでもなくコミュニケーション能力に長けるタイプではないですし、いくら初心者向けとは言えいきなり飛び込んで大丈夫なのかという不安があったんですが、この練習会に参加したことで、DocManjuさんやJabvaraさんをはじめとして今一緒にラップをしているMAZAI RECORDSの方々と知り合うことができたので参加して本当に良かったという気持ちでいっぱいですし、もし参加していなかったらフワッとした感じでフェードアウトしていたんじゃないかとも思っています。
実際の所、この練習会当日までフリースタイルの練習はほとんどしたことがなく(前日くらいに焦って始めた)、人前でラップするのも初めてだったのでガチガチに緊張して非常に情けない感じだったのを覚えています(いまだにフリースタイル下手なのは変わりませんが)。
この練習会はKAI-YOU.netさんで記事になっているんですが、
女子ラップ練習会潜入レポ! 女の子の香りがするサイファーとは? - KAI-YOU.net
そのしどろもどろな様子が克明に記録されていて非常につらい気持ちになります。
 

大会とサイファーに初参加(7月)

練習会参加後、「これはもっとフリースタイルをやらないといけないな」ということで、風呂にiPhoneを持ち込んでの練習を始めました。
フリースタイルを練習するとかダセェよみたいな意見もあり、ごもっともだと思うのですが、生まれつきダサいのは100も承知なので、黄猿さんのブログを参考にしつつ練習してました。
フリースタイルラップのやり方|黄猿 kizal mitsu 酔っぱらい

しかし、しばらくして練習会で人と一緒にラップしてた時の楽しさが妙に恋しくなりまして、とある社会人限定の大会にエントリーしました。
「スキルより社会人としての生き様を評価」と書いてあったので割と気楽に参加したんですが、いざ会場に行くとみんなちゃんと格好良くフリースタイルをしていたのにチキってしまい、完全にクソダサいラップをしてしまいました。見たことを後悔してうっかり手首を切りそうになるくらい本当にどうしようもないので動画を見つけても絶対に見ないでください。よろしくおねがいします。

あと、エントリーに関してMCネームを申告する必要があったので、このときから「MANOY(マノイ)」と名乗り始めました。由来に関してのおもしろエピソードは特にないので割愛させていただきますが、もっとインパクトがあって覚えやすい名前にすれば良かったと思うこともあります。
もちろん本戦出場はできませんでしたが、自分は場数を踏まないとだめな人間なのだからもっと人前でラップしようという教訓を得て、よりちゃんとラップをしていくきっかけとなりました。

そしてその翌日、「よっしゃ積極的にサイファーとか行くぞ!」ということでtwitter検索でみつけた「 秋葉原サイファー 」さんにさっそくお邪魔しました。
この時、6月のG.I.R.Lでお会いした今日犬さんと再会したり、前日の大会に参加していた方が何名かいらっしゃっていたりと様々な縁がありまして、秋葉原サイファーの方々とは今でも交流が続いています。
 

チンポジム参加、G.I.R.Lふたたび(8月)

本来ならば、じゃんじゃんいろんなサイファーに顔出したりなどしたかったのですが、一言も発することなく1日を終えることも珍しくない私がいきなり声を張ってはしゃいだことがたたったのか、秋葉原サイファーに参加した翌日から喉が腫れて熱が出ました。
声がでないためしばらく自宅でもラップをしない日々が続いた結果、ラップしてぇなぁという気持ちがハチャメチャに高まり、ついに【チンポジム】の門戸を叩く事になりました。
チンポジムに関しては先ほどのKAI-YOUさんの記事に詳しくあるんですが、G.I.R.Lが生まれるきっかけともなった練習会で、名前からもほんのり分かるように「クソ下品」を標榜しております。
G.I.R.Lで知り合ったワッショイサンバさんが参加して楽しそうにしているのをtwitterごしに見ていましたし、全く知らないところに飛び込むよりは良いだろうということで参加したのですが、それまで脳にかかっていた無駄なリミッターが一気に外れて、とにかく尋常でなく楽しかったのが強く印象に残っています。
「この人たちと一緒にやっていけば絶対に楽しいことになる」と思ったので、それ以後はポジムの面々とワイワイさせていただく流れになりました。

そしてその翌週が第2回のG.I.R.Lでした。このときはテレビの取材も入っていてワッショイサンバさんが「寿司T」の名前で放送されるなどのインシデントもありました。バトルではゲストの萌黄さんと当たったりして楽しかったです。
なぜかこの時が1番強い気持ちを保ってバトルできていたような気がします。
 

Tinpot Maniax vol.2 参加(9月)

前述のチンポジムに関してもう少し詳しく説明しますと、元々「Tinpot Maniax」というこれもまたすごい名前なイベントがあり、イベントがないときでもラップやバトルをしようということで始まった練習会だそうです(違ってたらすいません…)。
そしてその「チンマニ」の2回目が9月に開催されました。
イベントの詳しい内容に関してはhontumaさんのブログが分かりやすいかと思いますが、DJにライブにバトルにと盛りだくさんで滅茶苦茶に楽しかったです
hontuma4262.hatenablog.com

チンマニのバトルではお題+パンチラインカウント制という特殊ルールを採用していて

☆チンマニMCバトル
お題制変則ルール「パンチ・ラインカウント制」を導入したMCバトル。先攻が提示された3つのお題の中から一つを選び、両者それに沿った話題(正直おもしろければあんまり沿ってなくてもいい…)でバトルする。審査員が「かっこいい」「おもしろい」「キモい」といった独断と偏見に基づいた基準で試合中のパンチ・ラインの数をカウントし、その合計数で勝敗を決める。事前エントリー不要。
Tinpot Maniax vol.2(9/24) - TwiPla

そのためパンチラインがバコバコ発生するのですが、バトルを見てて面白すぎて膝から崩れ落ちるという経験ができるのはあの場くらいなのではないかと思います。
私は1on1のバトルに参加して、1回戦ではコスモパワーさんと、2回戦では茶怒さんと当たって延長戦の末負けました。
茶怒さんがラップしたのはこの日が初めてだったみたいなんですが、めっちゃちゃんと韻踏んでるし(私は全く韻が踏めません)、しかもおもしろいし、ものすごい成長曲線で上達していくので途中から「これは…勝てねぇ…」と心のなかで白旗を上げていたのを覚えています。

ワッショイサンバ、無能、樫、マノイのポジムに参加している女性陣4人組で「ポガ(チンポガールズ)(?????)」と呼ばれたり名乗り始めたのもこの頃だったと記憶しています(もう少し早かったかも)。
あと、どんな雰囲気なのかなーと8月にちょろっと遊びに行っていたRAP酒場に9月も遊びに行きまして、初めてバトルにも参加しました。
これ以降RAP酒場のバトルには毎月参加しているのですが、なんかどんどん情けない感じになっているので、今年はもっとちゃんとかませるようになりたいですね…。
 

おもしろいラップやりたい期

10月はイベントを見に行くことが多くて、KOKやUMBの予選とかバトルも何回か見に行きました。
その結果「不要なディスとかせずなんかもっとこうおもしろいラップができるようになりたい」ということを漠然と思い色々模索し始めたのですが、かといって具体的なビジョンもスキルもないので特に何も言えることがなく完全にしょぼい感じになる、という状態がこの頃からずっと続いています。
いい加減どうにかしたいです。
 

Tinpot X-Max

12月16日にTinpot Maniaxクリスマス編である「Tinpot X-Max」が開催されました。
9月からサイファーやら曲作りを経て各人がさらにパワーアップしていて、笑いっぱなしで表情筋が死ぬくらい楽しかったです。
今回は従来のパンチラインカウントに加えてNGワードでの減点制が採用されたのですが、そのシステムを逆手に取った茶怒さんが1on1でも3on3でも優勝し、2連覇と2種目(?)制覇を成し遂げていました。私は一回戦でワッショイサンバさんに負けました。

なんというかもう楽しすぎて記憶が曖昧なのと、あまり内容について語っても野暮かと思うので、ゲストとして来てくださったカクニケンスケさんのツイートをご覧頂くのがわかりやすいかと思います。

 

マザレココンピ

前々から曲やりたい曲やりたいと大きい独り言を言い続けていたんですが、11月の頭くらいにDocManjuさんから「曲をやりましょう!」ということで声をかけていただきました。
ずっと前から音源でやりたいトピックはいくつかあって夏頃からメモ帳にダラダラ書いたりはしていたのですが、一向にまとまらずたまに書いては放置状態の繰り返し。
いよいよちゃんとまとめないかんぞ、ということで着手したのですが、トピックが自分の中で整理しきれていなくてまとまりがなくなってしまったり、ほっとくとすぐ内省的な言葉を使ってしまうのでオイコラという感じで直したり、そもそも言葉と小節の対応関係がわかっていないために小節が数えられず無限に混乱したりして、進捗4割前後から一向に進まないという状態が続いていました。
こういうふうに自分がグダグダしている内に、樫さんの”初期衝動”やワッショイサンバさんの”Meshi-agare”など、周りの人がおもしろい曲をどんどん作ってくので無駄に焦りが募っていたのを覚えています。


最終的に1ヶ月ほどかかりましたがなんとか書き上げ、12月の頭に初めてのレコーディングをしました。
歌詞にもラップにも無限に反省点があるのですが、やってみてわかったこともたくさんありましたし、めちゃくちゃ楽しかったです。

Jabvaraさんからはポガ4人でのリレー曲をいただきまして、おみくじを引いた結果をラップするという内容でやりました。
こっちはソロ曲よりちゃんと韻を踏もうと思って書いたんですが、結果的にただ四文字熟語が大好きな人みたいな歌詞になりました。この曲のレコーディングした日は割と喉が死んでいたんですが、怪我の功名で普段の自分の声とは違うニュアンスが出た気もしますし、ソロ曲に比べてラップもわずかばかりちゃんとできたような気がしますし、ダブルとかフロウでも遊べたので良かったです。

とはいえまだまだ反省点尽くめなので今年はもっとかっこよくて且つ遊びのあるラップができるようになりたいですね。
そしてここからが重要なのですが、上記の2曲は1月1日からフリーダウンロードが開始されたMAZAI RECORDSコンピに収録されています!
DocManjuプロデュースの『MAZACON1』では3曲目で”3+1”が、Jabvaraプロデュースの『Python Code』では7曲目にリレー曲の”random fortunes”を聞くことができます!
どちらのアルバムもビートがめちゃくちゃ格好いいですし、ありえないくらいバラエティに富んでておもしろいので聞いてもらえるとうれしいです。もう一回貼ります。
www.audiomack.com
www.audiomack.com

 
長くなりましたが、まさか1年で曲(しかもビートがめっちゃかっこいい!!)を録るところまで来れるとは思っていなかったので、本当に幸運でした。
この歳になっても新しいことを始めることができて、ちょっとずつ上達して、色んな人と知り合って、少しずつですが色々なことが変わったというのは我ながら驚きがあります。
2017年はもっとラップうまくなって、アウトプットを増やして、自分のスタイルみたいなものを見つけていきたいです。
あとライブもやりたいので、実現できるように頑張ります。

というわけで、2017年もよろしくお願いします!!!