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シャマラン作品における「どんでん返し」の役割と『スプリット』の新しさについて

シャマランはなぜ「衝撃のラスト」を用意するのか

さて、昨日ついにM・ナイト・シャマラン監督の最新作『スプリット』が日本公開されました。f:id:ciranai1:20170513104553j:plain

あらすじ
級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が乗り込んできて、3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な密室…彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男はさっきとは違う異様な雰囲気で、姿を現す度に異なる人物に変わっていた― なんと彼には23もの人格が宿っていたのだ!そして、さらに恐るべき24番目の人格が誕生すると、彼女たちは恐怖のどん底に。
3人 VS <23+1>人格。果たして、3人は無事に脱出できるのか!?

http://split-movie.jp/


前作『ヴィジット』と同じく、『パラノーマル・アクティビティ』『パージ』シリーズのプロデューサーであるジェイソン・ブラムと再びタッグを組んだ今作。『ヴィジット』と比べるとジョークは控えめなものの、相変わらずのブラックユーモアとサスペンスと人間ドラマが、緻密な演出と映像で描かれるシャマランらしい作品となっています。
また、1月の全米公開時には3週連続で興行収入ランキング1位を獲得しシャマラン史上3番目の興行収入を記録。レビュー集計サイトのRotten tomatoesでは75%のFresh評価を獲得*1するなど、興行的・批評的にも成功を収め「シャマラン完全復活」等と喧伝されています。
私の記憶が正しければ『ヴィジット』でも復活してた気がしますが、『スプリット』におけるラストの「どんでん返し」がよりその印象を強めているのではないでしょうか。
では、そもそもシャマランはなぜ驚きの結末を用意するのでしょうか。それは観客を楽しませる作劇上のテクニックでしかないのでしょうか。
シャマラン監督の新作公開時には「私が考える最強のシャマラン論」を書くことが(個人的に)恒例行事化していますが、今回はシャマラン作品にとっての「twist(どんでん返し)」の役割とは何なのか、そして『スプリット』におけるtwistの「新しさ」について書いていこうと思います。
 
 

シャマランとtwist

シャマランの名を世に轟かせた作品が長編第三作目の『シックス・センス』であることに異論はないでしょう。以来、twistはシャマラン監督のトレードマークかのように言われてきました。
その一方で、過去のインタビューでは「常にどんでん返しを期待されるのは本意ではない」といった監督自身の発言も残されています。
M・ナイト・シャマラン監督、“どんでん返し”を期待される心境を告白 | ニュースウォーカー
『ヴィジット』M・ナイト・シャマラン監督 単独インタビュー - シネマトゥデイ

個人的にもシャマラン監督の最も優れている部分は、その結末に至るまでのドラマの描き方や演出、画作りの巧みさ、そして通底する思想にあると考えていたため、「どんでん返し」にばかりフォーカスされる論調には正直うんざりしていました。
しかし最近では、本年のアカデミー賞作品賞発表時のアクシデント*2に際して「このシナリオは僕が書いたんだよ」との小粋なジョークをかましたり、一周回って完全に持ちネタ化させた発言をしています。

この件に関しては、シャマラン持ち前のサービス精神が炸裂しただけかもしれませんが、もしかしたら何らかの気持ちの変化があったのかもしれません。
なぜならば、シャマランは『スプリット』においてtwistの新たな使い方を生み出し、その役割を明らかにしたからです。
では、twistの役割とはなんなのか、それを説明するためにまずはシャマランとその作品に通底するテーマついて詳しく述べていきましょう。
 
 

映画を信じる男、シャマラン

前作『ヴィジット』の主人公ベッカは、10年以上絶縁状態にある自分の母親と祖父母を和解させるために祖父母を訪問し、ドキュメンタリーフィルムを撮ろうとします。
そこでベッカが、引き出そうとする和解の物語は半ば強引でもあるんですが、作中で何が起ころうともカメラを回し続け物語を紡ごうとするベッカの姿には、インタビューで語られる通り監督自身が投影されています。

また『ヴィジット』だけでなく、『アンブレイカブル』のMr.ガラスことイライジャが自分の中で作り上げた仮説を生きる拠り所としていたり、『サイン』のヘス一家が端から見れたらバカバカしく思える符合によって救いを得たように、シャマラン作品では「ストーリー」が人を救うものとして描かれています。
つまりシャマランは、映画や物語といったある種の「都合の良い嘘」が人を癒やし、救うのであるということを信じているのです。
だからこそシャマランはその作品において、映画そのものの存在を前景化させ、「嘘である」ことを明示しようとするのではないでしょうか。


 
 

シャマランの挑戦と挫折

前段のような試みは『サイン』〜『レディ・イン・ザ・ウォーター』のキャリア中期の作品に顕著に見られます。
『サイン』のラストでは、うまくできているとは言い難いクオリティの宇宙人を登場させ、それまで作中で機能していた恐怖の対象を脱臼させました。
レディ・イン・ザ・ウォーター』では「作家」が「ストーリー」と出逢い世界を救うというあまりにもストレートすぎる物語を描いています。
また、シャマラン作品の特徴の1つ「主張の強すぎるカメオ出演」も、作品の外側を意識される効果を持っています。
しかしこれらのやり方は非常にリスクが大きいです。というか一般娯楽作を目指すのであればリスクしかありません。
実際に、『サイン』ではまだ興行的にも批評的にもポジティブな反応を得られていたものの、『レディ・イン・ザ・ウォーター』では脚本段階でディズニーとの契約を切られ、それにもめげずワーナー・ブラザーズの元で制作したものの興行収入は製作費を下回り、ゴールデンラズベリー賞には4部門ノミネート、最低監督賞と助演男優賞でシャマラン監督が2冠という結果になりました。
その後の作品における方向転換や低迷については述べるまでもないでしょう。
しかしこの時期の作品については、そのリスクを取ってでもやらなければならない切実さがあったのではないかと思います。なので、個人的にはこの時期の作品が大好きですし、『レディ・イン・ザ・ウォーター』が監督の最高傑作であると考えています。


 
 

シャマラン作品におけるtwistの役割

長い文章にお付き合いいただき誠にありがとうございます。さて、いよいよ本題です。
シャマラン作品を特徴づける様々な要素は映画の作り物性を意識させるはたらきをしていると述べましたが、twistも同じ役割を持っています。
つまり、twistによってそれまで見ていたもの、スクリーンに映されていた物語が作り物であるということを鑑賞者に突きつけるわけです。
たとえば『シックスセンス』では、目に見えないものを目に見えるように描いていたという嘘がラストで明らかになります。
また、『ヴィレッジ』では、セットを外側から映すかのようなネタばらしによってその舞台設定を覆しました。
 
 

『スプリット』の新しさ

『スプリット』でも確かにどんでん返しが行われているのですが、『シックス・センス』や『ヴィレッジ』のそれとは根本的に異なっています。
今までのシャマランのtwistはフィクションを見る際の「おやくそく」を覆すことで作られいましたが、『スプリット』におけるtwistは、その作品世界を拡張することによって成し遂げられているのです。
これは過去のシャマラン作品だけでなく、他の映画作品と比べても初めてと言っていい試みなのではないでしょうか。
どのようにしてその世界が拡張されるのか、まだ見ていない方はぜひ映画館でその驚きを体験していただきたいですし、見たけどよくわからないぞ、という方はググれば多分わかりますので、その足でツタヤなりゲオに駆け込んでいただければなと思います。
また、今回はどんでん返しという点にフォーカスした文章となりましたが、複数の人格を演じ分けるジェームズ・マカヴォイや、それに対峙するアニャ・テイラー=ジョイの存在感などなど見どころは盛りだくさんなので、ぜひ映画館で見て、感想を聞かせてください。
 
 

さいごに

シャマランの新作にかこつけた最強のシャマラン論を書く際には今後のシャマランの動向について書くのが(自分の中で)恒例となっているのですが、ここから先は一部ネタバレも含むので未見の方はご注意ください。
とはいえ、日本公開が世界公開から4ヶ月も遅いせいでもうネタバレもクソもない感じになってしまっているのが現状なんですが…。(海外ではソフトも発売されてるし…)
 
 
 
 
 
 
 
先日、『アンブレイカブル』と『スプリット』の続編そしておそらく完結編となる『Glass』の製作と、2019年1月の公開が発表されました。
『Glass』にはブルース・ウィリスサミュエル・L・ジャクソンジェームズ・マカヴォイ、そしてアニヤ・テイラー=ジョイ(個人的にはここが一番うれしい)らキャストの続投も決定しております。
(『エアベンダー』も『アフター・アース』も続編の話は立ち消えたので)シャマラン作品としては初のシリーズものになるわけですが、シャマランのことですからおそらく一筋縄ではいかないと思うので非常に楽しみです。
あと個人的な見解として『スプリット』では極端な言い方をすると「超越的なものの存在を信じられないものは価値なし」といった感じのシャマランイズムが復活してきているように感じたので、そろそろ『サイン』や『レディ・イン・ザ・ウォーター』級の作品がまた見られる日が近いのではないかという予感がしています。そしてその日こそ私は「シャマランの完全復活」を叫ぼうと思います。